ヨーロッパの地中海沿いに位置し、豊かな自然に抱かれたスペイン・カタルーニャ州。長い歴史は独自の食文化を生み出してきました。2025年にはヨーロッパ地域としては初めて、「世界ガストロノミー地域(World Region of Gastronomy) 2025」に選出され、世界中から旅行者が訪れています。今回は「Tasty Catalonia World Tour」のために来日したスターシェフ、ジョアン・ロカ(Joan Roca)さんとカルメ・ルスカイェーダ(Carme Ruscalleda)さんのお二人にカタルーニャの魅力についてうかがいました。
海外旅行において最大の楽しみとなるのが食事です。特に、その地域でしか食べることのできない郷土料理は気候や地形、宗教、歴史、生活習慣など、さまざまな要素が入り交じりながら時間をかけてできあがるもの。一皿の料理を通してその土地で暮らしてきた人々の営みや価値観に触れることができます。また、一流のレストランで食べる最先端の料理もすばらしい体験ですが、地元の住民が通うカフェや市場の屋台で巡り会うローカルフードも魅力的です。お仕着せの観光ルートからは見えにくい地域の「日常」に近づくことができます。つまり、食とは単なる味覚の楽しみにとどまらず、旅先をより深く理解するためのツールでもあるのです。
こうした食と旅の魅力を世界に発信しているのが「国際ガストロノミー・文化・観光協会(IGCAT)」。食文化を世界に発信する地域として「世界ガストロノミー地域」を認定しています。2025年に選出されたのがヨーロッパで初めてとなるスペインのカタルーニャ州。カタルーニャ州政府のサルバドール・イリャ首相は、「カタルーニャが“世界ガストロノミー地域2025”に選ばれたのは、ミシュラン星付きレストランのみならず、地元の食堂や長年家族経営を続けるレストランなど、多様な食の担い手によって築かれた、豊かで独自のガストロノミー文化の成果」と話しました。食はまさに、その土地の風土や文化への解像度を高めてくれる体験なのです。
選出を記念してザ・リッツ・カールトン東京にて「Tasty Catalonia World Tour」が開催されました。また、イベントに合わせてカタルーニャ州を代表するシェフ、カルメ・ルスカイェーダさんとジョアン・ロカさんが来日。全17品の特別メニューを監修し、会場の特別ライブステージでは料理の仕上げだけでなく、それぞれ2品ずつシグネチャーのメニューを披露しました。カルメ・ルスカイェーダさんはバルセロナ郊外の美しい漁村「サン・ポール・デ・マール(Sant Pol de Mar)」に名門レストラン「サン・パウ」をオープン。カタルーニャ出身で初めてミシュラン三つ星を獲得した女性シェフで、東京の「サン・パウ東京(2023年閉店)」、バルセロナの「モーメンツ」など、3つのレストランで獲得したミシュランの星は7つ。一方、ジョアン・ロカさんは両親が経営していたレストラン「カン・ロカ」で腕を磨き、現在は兄弟と「エル・セジェール・デ・カン・ロカ」を経営。「世界のベストレストラン50」で2度にわたって1位を受賞、現在もミシュラン3つ星を維持し続けています。
パーティーでの料理は非常に新鮮な食体験でした。スペイン料理、とりわけカタルーニャ料理のエッセンスを感じるメニューでしたが、お二人が料理に興味を持ったきっかけについて教えてください。
カルメ 私の実家は農家であり、街のデリカテッセンも経営していました。忙しい両親に代わってキッチンに立つようになり、幸いにも幼い頃から旬の素材に触れることができました。家畜の豚からソーセージ「ブティファラ」などを作り、ゼロから食材を作る楽しさに目覚めたのです。デリカテッセンで少しずつ惣菜を売り、やがて小さなテーブルで料理を出すようになりました。ちょうど家の向かいに店舗が空いたので、夫のサポートを得ながら開いたレストランが「サン・パウ」です。
ジョアン 私も両親がレストランを営んでいたので、こどもの頃からコックコートを着るのが夢でした。その後、学校で料理を学び、一時は学校で教鞭も執っていましたが、料理への情熱から兄弟と一緒にレストランを経営することにしたのです。兄弟はそれぞれソムリエとパティシエとして活躍していて、家族で力を合わせてお客様を幸せにすることができるこの仕事は私の誇りです。人を幸せにするためには、まず自分が幸せでなくてはいけません。ですから、レストランは幸せが詰まっている場所なのです。
お二人とも料理が身近な環境だったのですね。カタルーニャが「世界ガストロノミー地域(World Region of Gastronomy) 2025」に選出されましたが、お二人とも旅はお好きですか? 旅と食にまつわるエピソードがあれば教えてください。
カルメ もちろん! 私が旅に出る理由は五感を刺激され、インスピレーションを得ることにあります。2004年に「サン・パウ東京」を出してからは日本にもよく来ました。その国の代表的な料理も体験しますが、少し変わった食体験を求めることでより強烈なインスピレーションを得ることができると思っています。例えば若者よりもお年寄りが召し上がるようなもの。日本ではあん肝や魚の目玉にも挑戦しました。南アフリカへ旅行したときは、人生で一度ワニを食べてみたかったのでレストランへ連れて行ってもらいました。でも、炭の匂いが強く、肉も堅くておいしいとは思いませんでした。幸い、料理人同士の旅だったので自分たちで料理をしてみたら驚くほどおいしくなったわ(笑)。
ジョアン 私も旅は大好きです。日本やアジアも大好きで、スペインとは全く違う感性や新しいカルチャーに触れることで自分の仕事が活き活きとしてくるのを感じます。以前は富山に行って酒蔵を見学しました。私の料理はイノベーティブだと評価されることがありますが、イノベーションとは自分のルーツや感情と紐付いた思い出を大切にしながら、新しい視点や技術で現代的に生まれ変わらせることです。今回のイベントでお出しした料理も、こどもの頃の思い出や家族との食卓の記憶からインスピレーションを得ています。それらの味を現代の技術で捉え直すことで、懐かしさと驚きを同時に感じる特別な料理体験になるのです。私のレストランでは自然科学やエンジニアリングなど、料理以外の分野のスペシャリストを集めて新しい機械や道具を開発してもらいます。それもまた知的な旅のようなもので、いつでもインスピレーションは新しい体験によって与えられるのです。
カタルーニャといえばバルセロナなどが有名ですが、他のエリアにも魅力的な場所がたくさんあることを知りました。カタルーニャの魅力はどのようなところにあると思いますか?
カルメ 食というのはその土地を理解するベストな方法です。しかも、一流レストランにはそのお店の解釈がありますし、マーケットの屋台ならローカルの発信するメッセージが詰まっています。ですから、バルセロナ以外の地域にもぜひ足を運んでみてほしいと思います。さらに、スペインの各地方では季節ごとにさまざまなお祭りがあり、その時にしか食べられない特別な料理がたくさんあります。日本の桜餅やお赤飯などに近いでしょうか。私たちが何を祝い、どんなことを特別だと感じているか、きっと理解していただけると思います。カタルーニャは決して大きな地域ではありませんが、海と山が近く、凄く豊かな気持ちになる場所です。100の言葉より、一皿の料理のほうが想いが伝わることもある。私はそう思って料理を続けています。
ジョアン 私の地元であり、「エル・セジェール・デ・カン・ロカ」があるジローナは2000年の歴史を誇ります。バルセロナから電車で1時間と近いにもかかわらず、スペインの雄大な歴史を感じることができる街です。ローマ時代に築かれた要塞「フォルサ・ベリャ」などが有名ですが、なにより海から山までほんの数キロしかなく、その間に豊かな生態系が育まれています。山と海、そしてすばらしい生産者からあらゆる食材が手に入るため、多彩でさまざまな調理法と組み合わせた料理を可能にしてくれます。フェラン・アドリアの「エル・ブジ」は同じジローナ県で生まれましたが、私たちもこの場所で料理ができることは強みのひとつだと自負しています。ぜひ一度訪れてみてください。私たちのレストランでお迎えできることを楽しみにしています。
国連世界観光機関(UNWTO)によると、2024年に海外旅行をした人の数は世界で約14億人と発表されました。旅をして異文化に触れる非日常体験のなかでも、「食」は最も重要なアクティビティのひとつ。観光や買物だけでなく、おいしいものとその文化的背景を求めて世界中の美食家が過疎の村を訪れる光景は、いまや珍しくありません。ガストロノミーツーリズムは、単なる「美食」の枠を超えて、農家への視察やワイナリー見学、料理体験など、その土地をより深く知る手法として注目を集めています。今回のイベントで最も印象的だったのは、料理人、生産者、そして行政が一体となってイベントを盛り上げ、楽しんでいたこと。「料理は友人や家族とともに分かち合うことで、さらにおいしくなるの」というカルメの言葉は、カタルーニャの食文化を何よりも表現していました。私もスペインはバルセロナとバスク地方しか行ったことがないので、ぜひ今度はカタルーニャの地方に眠る魅力を求めて、各地へ足を伸ばしてみたいと思いました。