PT Column 2021.07.16

開高 健

Column No. 9

開高先生と初めてお目にかかったのは、「オーパ!」(集英社刊)の取材で開高先生がニューヨークに立ち寄られた時だったと思う。ロングアイランド沖で開高先生が、たら(Cod)をたくさん釣ってきたので「たらちり鍋を食べに来ないか」と、旧知の編集者が誘ってくれたのである。プロの料理人の手による大鍋料理を大勢で囲む美味しさには、格別なものがあった。

日本へ帰国してから早速、茅ヶ崎のお宅にご挨拶に伺った。ニューヨークでのよもやま話に花を咲かせつつ、こちらの雑誌への連載もお願いしてきた。それ以来4ヶ月に1度、締切には一度も遅れることはなく、例の角ばった字の原稿がFAXで届いた。開高先生の原稿はすべて手書きで、温かみがあった。

カミさんの実家が茅ヶ崎だったこともあり、用事もないのに書斎にお伺いしたこともある。息子たちが書斎に上がり込んでも嫌な顔ひとつせず、「おぉ、よく来たな!」と、抱きあげてくれたことも・・・。豪快で鳴らすコワモテの先生に、意外な一面を見た思いがした。そんなある日、先生が所有する魚の化石を見せてくれたことがある。実は私の持っていたブラジル産の鎧のような魚の化石の方がずっと大きく、実際に見比べたときには子供のようにひどく悔しがった。まるで釣った魚の大きさで負けたかのようにご機嫌を損ねてしまった。もちろん、拗ねたのは半ば冗談だが、それほどに魚への執着は強かった。

もう一つ、開高先生が執着していたのはワインだった。しばらくして、サントリーからワインの試飲会の招待状が届いた。新高輪プリンスホテル(現 グランドプリンスホテル新高輪)「飛天の間」での盛大なもので、確か、サントリーが傘下に持つボルドーのシャトー・ラグランジュのお披露目だったと思う。そこで、タキシードに身を包んだスタッフ達によって恭しく会場に運び込まれたのは、なんと尿瓶(しびん)に入れられたワインだった。会場のゲストらはクスクスと笑い、最後には皆、大爆笑という事態だった。

この仕掛けを考えた開高先生の説明によると「デカンタージュには尿瓶が最高」なのだそうだ。そもそも、デカンタージュにはワインの底に溜まった澱(おり)を取り除き、香りを開かせ、ワインの温度を適温に仕上げるといった作用がある。その上で尿瓶は、そのサイズや形上から短時間でワインのポテンシャルを引き上げることができるのだそうだ。白ワインではいささかリアルになり過ぎるが、極めて合理的な考え方をする先生らしいアイディアだ。この試飲と尿瓶をかけ、エスプリの効いた作法には驚いたが、どこか開高先生の原稿に通ずるものがあった。

先生の原稿はいつも、人を驚かせるウィットに富んでいた。人には真似のできない、そのボキャブラリーの豊富なこと。まるで機関銃の速射砲のように、次々と繰り出される言葉の雨に酔わされた。清濁併せ持つ諧謔(かいぎゃく:気の利いた冗談、ユーモア)を含んだ表現には、打ちのめされる思いがした。物事の本質を見抜くその目と、的確に、ユーモラスに言葉を綴る表現力にはとても敵わない。

もしかしたら、あの仕掛けはバブル真っ盛りの当時、ワインの「本当の魅力」をまだ知らなかった私たちに対する風刺の意味もあったのかもしれない。それを許すサントリーの懐の深さには、ただ敬服するばかりだ。そして、後から「一本やられた」と思ってももう遅い。いたずらっぽい彼のチャーミングな笑顔を思い浮かべながら、上品なジョークにただただ感心するばかり。そう思わせる含蓄と風格が、彼の最大の魅力であった。

文章:飯田徹 イラスト:石川理沙(500ml)