アートと自分に向き合う時間
すみや亀峰菴「呼風」
アートと自分に向き合う時間
すみや亀峰菴「呼風」

かつてジョン・レノン夫妻も訪れたという京都の老舗旅館「すみや亀峰菴(きほうあん)」。「犬島アートプロジェクト」など、世界的に活躍する現代美術家・柳 幸典(やなぎ ゆきのり)さんとのコラボレーションによるアートプロジェクトをご紹介します。風情豊かな旅館に一室だけ用意されたアートルーム「呼風(こふう)」は、京都に息づく伝統工芸と柳さんによる切れ味の鋭い作品世界にどっぷりと浸ることができる空間。感性が刺激され、自分と向き合う不思議な滞在は、新しい年の始まりにふさわしい体験になりそうです。

洛外老舗の温泉地

すみや亀峰菴のある「湯の花温泉」は、京都府亀岡市の温泉郷です。明治2年まで亀岡は「亀山」という地名で、宿の名前の由来にもなっています。嵐山まで約16kmにわたる保津川下りが有名な景勝地で、大阪、神戸から車で1時間ほどの距離にあることからも京阪神の湯どころとして栄えました。かつては明智 光秀の居城がそびえ、傷を負った武将が湯治に訪れたという記録から温泉が見つかったとされています。保津川を通って京都に物資を運ぶ要衝でもあり、秋が深まる紅葉の季節から春にかけては亀岡盆地特有の深い霧が一帯を包みます。肥沃な土壌は農作物を育てるのにも適しており、京文化を支える礎となった場所です。

アートと一体となった宿

この老舗の温泉旅館にいま、現代アートが存在感を放っています。2021年にはエントランスロビーを「Gallery百代(はくたい)」としてリニューアル。李白の「春夜桃李の園に宴するの序」という詩の一部から名付けられたこの空間は、旅人のニーズに合わせて変化し続けてきた宿の本質を体現しているようにも感じます。一連のプロジェクトについて、菴主の山田 智(やまだ とも)さんに伺いました。

「 “宿”という場所は、時代と合わせ鏡のように変化していくものです。しかし、近代においては多様化するニーズに振り回されてしまうことも多く、当旅館も本質的な価値を見直す必要がありました。柳 幸典さんという稀代の現代美術家とのご縁に恵まれ、伝統的な技を持つ地場の職人や作家との融合を果たせたと思います。意欲的な試みは新しい気付きをもたらしてくれます。現代アートと宿という新たな試みですが、美術館やギャラリーとは違う時間が流れる空間で、作家の思考に触れながら過ごしていただけたら幸いです」

空間がアート作品となった「呼風」

柳さんとのコラボレーションは、前述の「百代」から始まり、2022年4月にオープンした露天風呂付きのアートルーム「呼風(こふう)」へと実を結びます。3つの客室を一つの空間作品として構成しなおしたスイートルームで、140㎡のゆったりとしたスペースにはさまざまな作品と仕掛けが渾然一体となっています。李白の詩「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」の一節と、ギリシャ神話に登場するイカロスが幽閉されていた迷宮から着想を得たという空間は、アートのある部屋ではなく“アートそのもの”。いままで体験したことのない距離感で作品を堪能することができます。「そもそも天地は万物を宿す旅館のようなものであり、月日は永久に往いて帰らぬ旅人のようなもの」という意味が示すように、ひとの思考もまた然り。作品と共に過ごすことで、いろいろな思いや考えが浮かんでは消えていきます。

作家たちの美と芸が融合

「呼風」とはそもそも禅語で「風を呼ぶ力」を意味し、転じて素晴らしい能力やその力を持つ人を指すこともあると言います。その意味にふさわしく、「呼風」には丹波エリアを拠点とする陶芸家や左官職人などの技がふんだんに盛り込まれています。陶芸家の石井 直人(いしい なおと)さんによる1200度を超える高温で焼くことで変形させた「破れ壺」、「地の間」と呼ばれるダイニングルームの夕陽のような壁は左官職人の久住 章(くすみ あきら)さんによるもの。ベッドルームである「天の間」の壁面やイカロスの回廊の壁には、和紙職人であるハタノワタルさんの仕事が際立ちます。さらに、天と地の間に位置する和室には京都・室町の帯屋である誉田屋の十代目、山口 源兵衛(やまぐち げんべえ)さんによる作品が配置される予定とのことで、アートの密度にクラクラしてしまいます。「ホワイトキューブではない空間で、新しいアートとの距離感を楽しんで欲しい」と、山田さんは話します。

天に属するのか、地に属するのか

さらに、天と地というモチーフを視覚的に表現しているのが、2つ用意された浴室。ひとつは「空(くう)」をイメージした透明の立方体にお湯が張られ、プリズムから壁に映し出される虹が視覚的に天空を表現しています。目の前に広がる裏山のしっとりとした空気を吸い込むと、不思議な浮遊感に包まれます。一方の「地」は陶芸家の石井さんによる織部釉の陶板と左官職人の久住さんによって仕上げられた浴槽という希有なコラボレーション。目の前の「破れ壺」に火が灯され、裂け目から覗く炎を眺めながら湯船に浸かるという仕掛けです。天然ラジウム温泉に身を浸せばその湯質はただただ心地よく、滞在中に何度も入りたくなりました。火の灯された破れ壺を眺めていると、土や炎など土地固有の素材について深く考えてしまいます。

丹波の滋味を堪能する

アートと温泉を堪能したら、いよいよ夕食の時間です。ほかの客室と違い、専用のダイニングルームで伝統的な日本料理をいただきます。手がけるのは京都で40年のキャリアを持つ料理長、細井 久仁彦(ほそい くにひこ)さん。里山の四季と京の節句を重んじる料理は、王道でありながらも独自の料理観が表現されています。

「アート空間として一流だと思うからこそ、私は“王道の日本料理”を表現したいと思います。ここは丹波エリアも近く生産者とも親しいので、食材の種類も鮮度もどこにも負けないものがそろいます。さらに、シカやイノシシといったジビエもお楽しみいただきたいです。旬の食材や美しい景色も、まさに“百代の過客”。移りゆく山間(やまあい)の景色など、里山という日本の原体験をゆっくり味わっていただけたらうれしいですね。アートが満ちた部屋で優しい料理に癒やされるというのも、粋な遊びではないでしょうか」

宿とアートの距離感

「呼風」の魅力はある種の知的好奇心が満たされるところにあります。美術や芸術と密接に過ごす時間は、まさに非日常でした。あちこちからにじみ出る作品の力や、作家の思考に触れ続けることで、普段は思いもよらない考えで頭がいっぱいになります。しかし、不思議と心が落ち着き、気がつくと時間が経っている。いわば、この空間での滞在そのものが、マインドフルネスな状態にさせる装置なのです。エントランスロビーのギャラリー「百代」からはじまるアーティスティックな滞在は、自分と向き合う時間と空間を与えてくれます。チェックアウトすると、まるでイカロスの回廊から抜け出たような開放感に満たされました。

京都亀岡 湯の花温泉 すみや亀峰菴

〒621-0036
京都府亀岡市ひえ田野町湯の花温泉
TEL:0771-22-7722(9:00~22:00)
「KYOTO Art Gallery 百代」の特設ページはこちら
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