起業家とアーティストに共通する精神
田中 仁 Hitoshi Tanaka
白井屋ホテル
起業家とアーティストに共通する精神
田中 仁 Hitoshi Tanaka
白井屋ホテル

「めぶく。」というビジョンのもと、大きな変貌を遂げようとしている街「前橋市」。このプロジェクトのシンボルとなるアートデスティネーション「白井屋(しろいや)ホテル」を手掛けるのが、オーナーの田中 仁(たなか ひとし)さん。アイウエアブランド「JINS(ジンズ)」の創業者であり、このムーブメントを牽引する人物の一人です。彼が街の未来を100年先まで見据えた壮大なプロジェクトに携わる根底には、アーティストと共通する精神がありました。

※2021年8月に掲載した「白井屋ホテル/後編」を再編集して掲載しています

前橋に興味はなかった

インタビューの冒頭で「もともと出身の前橋には興味がなかった」と語る田中さん。プロジェクトの経緯について伺いました。

-このプロジェクトの発端はどのようなものだったのでしょうか?
「そもそものきっかけは、50代を迎える目前に『EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン』という起業家の世界大会に日本代表として選ばれたことです。当時は東京で事業を成長させていたわけですが、決勝大会が開催されたモナコで50カ国から集まったさまざまな起業家と交流を重ねたことで地元に対する想いが変わりました。みなさん、出身の地元や地域に個人として社会貢献されており、その点が起業家として評価されていました。私はこのスコアが低かった。ちょうど東日本大震災の直後ということもあり、非常に刺激を受けて自分でもなにかやりたいという衝動に駆られたのを覚えています」

-それで地元の前橋に貢献しようと?
「はい。当時の群馬県は都道府県の魅力度ランキングみたいなもので最下位、土地の値段も全国の県庁所在地で最下位でした。そこで、モナコで刺激を受けた私は『群馬イノベーションアワード(GIA)』と『群馬イノベーションスクール(GIS)』というふたつのプロジェクトを立ち上げ、前橋に行く機会が増えたのです。久しぶりに地元を訪れてみると、商店街は絵に描いたようなシャッター街で、本当に寂れていました。そのときもまだ、地元のありさまにどこか他人ごとだったのですが、たまたま『アーツ前橋』という美術館のオープニングイベントで地元の若者に会い、旧『白井屋ホテル』の話を聞きました。地域をなんとかしたいという彼らの想いに胸を打たれたというか、正直、若者にちょっと良いところを見せたいという気持ちもあり、物件を取得したのです」

目的のない街に、ホテルはいらない

起業家として成功した田中さんですが、縁あって取得したホテルの再生プロジェクトは順調といえるものではありませんでした。そして、それが大きな物語の序章へと繋がります。

-ホテルの経営には以前から興味があったのですか?
「いえ、自分で手掛けるつもりはまったくありませんでした。ですから、ホテルの運営やマネジメントを専門にしている会社に委託しようと考えていたのです。“ちょっと良いホテル”を作れればいいという程度の気持ちだったのですが、そこで言われたのが『いまの前橋にホテルはいらない』という言葉でした」

-それはどういう意味でしょうか?
「用事や目的のない街に、ホテルは必要無いということなんです。そして、『ホテルというのは街とともにある存在。前橋ってどんな街ですか?』と聞かれ、答えられなかったのです。そこで市長に『前橋のビジョンって何ですか?』と質問をすると、さまざまな考えがあるものの明確なひとことでは言い表せなかった。そこで、どんなホテルを作れば良いのかという前に、街のビジョンから一緒に作りましょう、という流れになりました」

すべて個人の資産でやる

ホテル再生から街のビジョンを策定するという大きなうねりが生まれていくなかで、必要な原資をどのように確保していくか。プロジェクトをやりきるために、田中さんは大きな決断を下します。

-個人のプロジェクトから、行政のプロジェクトに話が大きく変化しますね。
「公共的なプロジェクトには透明性のある統治と説明責任が求められます。そこで、一般財団法人として『田中仁財団』を設立しました。しかし、資金は公的な補助金などを一切使わず、あくまで私個人の資産から捻出することにしました。というのも、街づくりなどが中途半端に終わる要因のひとつに、補助金の限界があると聞いたのです。さらに、公的資金を投入することで私の活動が歪んだ見方をされかねない。それではスムーズに、スピード感を持ってプロジェクトを進めることができないと判断しました」

-その思い切りは凄いですね。
「結果的に、地域の方々とも対等に話ができるようになりましたし、ことの成り行きを見守っていた方々からも信頼して頂けるようになったと思っています。前橋市のビジョンについては、ミュンヘンのコンサルティングファーム「KMS TEAM」に依頼し、「Where good things grow(良いものが育つまち、まえばし)」というビジョンができました。このビジョンをより身近なものにするべく、同じ前橋出身の糸井重里さんに考えて頂いたのが『めぶく。』という言葉です」

街の目的地となるホテルへ

街のビジョンが決まり、いざホテルのプロジェクトを進めていくと、さらに嬉しいことがありました。それは、田中さんの想いと熱量が伝播していくような現象といえます。

-街づくりのビジョンが決まり、ホテルの方向性は明確になりましたか?
「アートデスティネーションというホテルのコンセプトは最後の一年くらいで決まったものなんです。まずはかねてからお付き合いのあった建築家の藤本 壮介さんに依頼をして、ランドスケープの方向性が決まった。そして、プロジェクトの関係者を通して、森美術館での個展の準備で来日していたレアンドロ・エルリッヒと食事をする機会に恵まれました。彼は藤本さんの建築が好きだというので、前橋の現地を案内したのです。そして、建設途中の現場を見てうまれたのが「Lighting Pipes」というアイデアです。同時に、仕事でもお付き合いのあったジャスパー・モリソンやミケーレ・デ・ルッキも、このプロジェクトに協力してくれることになりました。しかも、ボランティアで。それからは、中途半端なホテルは作りたくないという考えが強くなりましたね」

-これだけの世界的アーティストを起用して、ホテルとしての採算は合うのでしょうか?
「立ち上がるまで、採算ベースでは考えないと決めました。このホテルは徹底的に“本物”にこだわろうと。エルメスでアート部門を統括されていた藤本 幸三さんに5年ほど前から弊社の顧問をお願いしている関係で、アートへの関心が高まっていた時期でもありました。ホテルのプロジェクトと平行して、恵まれた経験ができたこともタイミングが良かったです。いわゆるアートの歴史や文脈とは少し違うかもしれませんが、エネルギーを感じる作品が集まってきたことによって、ホテルそのものが街の目的地のひとつになるパワーを持てたと思っています」

最下位の街から一番新しい街へ

国内の都道府県で最も魅力の少ない街と言われた前橋は、新しいビジョンと「白井屋ホテル」という強力なコンテンツを手に入れました。今後の展望はどのようなものでしょうか。

-資金も熱量も投じて、本気で取り組んできたことが実を結びましたね。
「街づくりも仕事も、本気でやれば仲間が増えてくる。逆に、本気でやらなければうまくいかないのだと思います。いま、前橋では次々と新しいプロジェクトが立ち上がっています。一流のアートが生活動線の延長線上にあり、自然に融和していく街づくりや、アスファルトだけではない街並み、公園だけでなく街全体が緑に覆われたような新しい景観を生み出していきたい。八百屋に世界的に有名なアーティストの作品があっても良いじゃないですか。本当の近未来都市って、意外にSFに出てくる殺風景な街ではなくて、緑や芸術と人々の営みが自然に溶け合った街なんじゃないでしょうか。その生活をテクノロジーが支えているのが理想だと思います」

-ビジョンをもとにした前橋市の再生ですね。
「いま、前橋市は政府が標榜している『スーパーシティ』という構想に手を挙げています。これは、市民の身分証をデジタル化し、市内の通信環境や決済、交通システムなどをすべてまるごとデジタル技術でサポートしていくというプロジェクトです。アップルの米国本社で副社長を任されていた、前橋市出身の福田 尚久さんが主導しています。さらに、システムなどのインフラだけでなく、教育面や生活面などにも大きくアップデートされていく予定です。いわゆる受験勉強ではないSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)教育を実現し、『人のため』のデジタルシティを目指していきます。これが実現すれば、都心からもっとも近い最先端の実証実験都市にもなるので、もっと人や企業が集まります。きっと、たくさんのことが芽吹いていくのではないでしょうか」

起業家もアーティストも同じ

「めぶく。」というビジョンと、アートというコンテンツは、前橋市の大きな原動力となり、いままさに大きく芽吹こうとしています。新しい価値を創造していくエネルギーは、起業家もアーティストも同じだと、田中さんは話します。

-「白井屋ホテル」のプロジェクトを通して、アーティストから影響を受けましたか?
「JINSという会社はイノベーティブな会社だと言われてきました。それは、『問いを立てる』ということを大切にしているからだと思います。売上げや利益を追求するだけなら、成功事例を短期的に大きく広げるのが鉄則です。しかし、わたしはそこにあまり興味がなかった。やはり、世の中に新しい価値を提供していきたい。その姿勢は、アーティストにも同じようなものを感じて、大いに刺激になりました」

-新しい価値を生み出すという意味では、起業家とアーティストは同義といえそうですね。
「私は、アーティストは起業家だと思っています。同様に、起業家もアーティストだと思っています。ジャンルが違うだけで、世の中の常識を疑い、自分なりの問いや仮説を立てて作品や商品を打ち出していく。ですから白井屋ホテルも、宿泊施設としてのホテルをつくるだけではなく、あの場所ができたことで街に新しい動きが生まれ、地元の人と遠くから来た人が出会うきっかけをつくりたかった。街のリビングとして、いろいろインスパイアされて、新しいことが起きて欲しいと思っています。事業をしている友人からは侠気といわれます。狂気の方ではないと思っているのですが(笑)。100年後に『前橋はあのときに変わったよね』と言われたら、こんな面白いことはないですよね」

“新しさ”のはじまりとなる場所

アートの文脈から知った「白井屋ホテル」は、取材を通して “街にイノベーションを起こす” 壮大なプロジェクトのはじまりに過ぎないと感じました。ホテルがきっかけで街にビジョンが生まれ、世界中の表現者たちが賛同する。そのムーブメントに街の人々が感化され、日々の活力や未来への希望へと繋がっていく。我々はなぜ、アートを求めるのか。街を変え、人を変え、時代さえも変えてしまう力こそ、アートの魅力そのものなのかもしれません。ルネサンスが中世のヨーロッパのあらゆる文化に影響を与えたように、アートの力でひとつの街が変わる。そんなムーブメントが「めぶく。」前橋から、しばらく目が離せなさそうです。

田中 仁(Hitoshi Tanaka)

株式会社ジンズホールディングス代表取締役CEO
一般財団法人田中仁財団代表理事
1963 年群馬県生まれ
1988 年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、
2001 年アイウエア事業「JINS」を開始。
2013 年東京証券取引所第一部に上場。
2014 年群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、
起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」 「群馬イノベーションスクール」を開始。現在は前橋市中心街の活性化にも携わる。
慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科 修士課程修了。

白井屋ホテル

〒371-0023 群馬県前橋市本町2-2-15
Tel. 027-231-4618(宿泊予約)
https://www.shiroiya.com/

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