日本では古くから生活必需品として親しまれてきた「木桶」。わたしたちからすればどこかノスタルジックな風情を感じる日用品ですが、ドン・ペリニヨンの公式シャンパンクーラーに採用された「Konoha」は世界に衝撃を与えました。 “美しい道具”としてアップデートされた木桶は、暮らしの知恵が詰まった実用的なインテリアとしてわたしたちの暮らしに蘇るかもしれません。700年に及ぶ伝統的な木桶の手法をいまに伝えるのが「中川木工芸 比良工房(なかがわもっこうげい ひらこうぼう)」。伝統工芸と現代のライフスタイルを繋ぐ架け橋となる技と想いに迫ります。
産湯桶から棺桶まで生涯にわたって生活に欠かせなかった木桶ですが、現代の日常生活ではすっかり目にする機会は減ってしまいました。ときおり旅館のお風呂で湯涌を使ったり、朝食で“おひつ”を目にすると懐かしさを通り越して歴史を感じてしまうほどです。「昔は250軒ほどあった木桶屋も、いまではたった3軒だけです」と話すのは、「中川木工芸 比良工房」の主宰、中川 周士(なかがわ しゅうじ)さん。もとを辿れば祖父にあたる中川 亀一(かめいち)さんが京都の老舗桶屋「たる源」に丁稚奉公したのがはじまり。当代一の腕と評判で、50歳を機に独立し「中川木工芸」を始めました。現在は二代目にあたる中川 清司(きよつぐ)さんが継いでいます。三代目にあたる周士さんは琵琶湖のほとり、比良山の麓に独立して工房をかまえています。
周士さんが独立したのは2003年のこと。「2001年に父が人間国宝になったので、同じ工房で別の職人の桶を売るわけにはいかないということもあって独立しました」と、京都と滋賀に工房を分けた経緯を教えてくれました。学生時代にワンダーフォーゲル部で訪れた比良山の風景が気に入り、京都から引っ越してきたそうです。「もともとは工芸よりもアートに興味があった」という周士さんは、京都精華大学で立体造形を専攻していました。
「手を動かすのが好きだったので、家業がものづくりを営んでいるのは幸運なことだと気付いたんです。でもアート活動もやめるつもりはなかったので “土日は休んで作家活動を続けたい”と言ったときには、“職人に休日はない!”とえらく怒られましたね(笑)。それでも、他の人より早く始めて遅くまで働くことで、なんとか両立を認めてもらいました。おかげで色々なものづくりに携わる仲間も増えたし、デザインなどの要素を取り入れる土壌を作ることができたと思います」
その経験は、まさに新しい扉をひらきました。自身の技をベースに、プロデューサーを招聘して生み出した「Konoha」という作品。これがドン・ペリニヨンの公式シャンパンクーラーに採用されたことで、周士さんの存在は世界に知られることとなります。もともと水に強く、吸水性能に優れた木桶のクーラーは「結露しない」と、白ワインやシャンパンの置き場に困っていた和食のレストランでも大評判となりました。
「独立したとき “自分の代はなんとかやっていけるだろうけど、この技術はもう後世に残せないんだろうな”と思っていたんです。自分がこの世界に入ったときは自分が最年少で、次が父でしたからね。だからドン・ペリニヨンのニュースは嬉しかったですね。伝統的な木桶の機能を新しいデザインにしただけでは、ここまでのインパクトは出せなかったと思います。シャンパンクーラーという明確な用途とドン・ペリニヨン公式という付加価値が、木桶の魅力を広めてくれたと思っています。海外の日本料理店などでも喜んでもらえたのは、日本人として嬉しいですね」
そもそも木桶はどのように作られているのでしょうか。
主な素材はスギやヒノキ、サワラ、コウヤマキなどの針葉樹で、油分が多く水に強いのが特徴です。まっすぐな木目は「柾目(まさめ)」と言い、樹齢の長い木の中心部からしか取ることができません。丸太を外気でじっくりと乾燥させたら、湾曲したナタで柾目に沿って割っていきます。カタチを整えたら300種類ほどのカンナから桶の直径に合わせたものを選び、内側を削っていくと次第に美しい木目が浮いてきます。板と板が接する側面を「正直(しょうじき)」と呼ばれるカンナでまっすぐに削ることで水が漏れない緻密な桶に仕上がります。最後に「たが」で止めれば完成です。不揃いの木片を手際よく削る所作を眺めながら、どうやって同じサイズの桶を量産するのか不思議に思い尋ねました。「幅が違うパーツを専用のメジャーに沿って桶ひとつ分にわけるんです。サイズを均等に揃えると言うことは合わない木をはじく訳ですから、素材も時間も無駄が出てしまう。一見手間に思えますが、不便益といいますか、実は基準を作らないことで効率を良くしているんです」とのこと。長年受け継がれてきた職人の叡智を垣間見た気がします。
中川木工芸 比良工房ではこうした伝統的な技法を用いながらも、常に工芸に新しい在り方を模索しています。例えば2020年に登場した「滋器(しき)」シリーズは、工房の若いスタッフが中心となって手掛けたラインアップ。滋賀県産の木材のみを使用し、滋賀の工房で作られた“滋賀の器”がコンセプトで、仕入れる木材の選定からデザインまですべて任せているとのこと。
「ありがたいことに3軒まで減った桶屋がいまでは5軒になりました。うちの工房から独立したスタッフが立ち上げたのですが、いまもうちの工房には4名ほどスタッフがいます。みんな熱心で、天神さんの古道具市がある日なんかは『昔のカンナが出ているかも知れないから、見てきて良いですか』なんていわれちゃう。一緒に業界を盛り上げてくれると思うと、まだ木桶の技術も繋いでいける気がしてきますよね。新しいデザインを手頃な価格で提供することによって、また木桶がわたしたちの生活に蘇ってくれたら良いなと思っています」
筆者がはじめて周士さんの作品を知ったのは、ミラノ発のプロダクトブランド「ハンズオンデザイン」の関係者から話を聞いたときのことです。日本とイタリアの伝統工芸を世界各国のデザイナーとコラボレーションさせることで現代的なプロダクトを発信していて、新しさと同時に職人同士の精神的な繋がりのようなものを感じました。それを周士さんは「工芸思考」という言葉で説明していました。
「ドン・ペリニヨンだってフランスのシャンパーニュ地方に伝わる伝統文化だし、エルメスやカルティエなどのハイブランドだって今も昔も工芸から始まった職人集団なんですよね。そうした伝統を受け継ぐ職人たちがリスペクトされて、一流のブランドとして認知されていく。ヨーロッパのブランドとコラボレーションしていると、そういう言葉にはできない、手から手へと繋いできた技術の中に哲学や思想の共通点を感じます。工芸の中には未来へのヒントがたくさん詰まっているんじゃないでしょうか」
いま、自宅では中川木工芸比良工房の“おひつ”を使ってごはんを頂いています。炊きたてのお米をすぐに移して、ふきんを掛けて蓋をする。10分もするとほどよく水分が飛んで、お米の粒が立ち、甘みがギュッと凝縮されます。ほのかにサワラの香りがして、なんとも贅沢な気分にさせてくれるのです。しかし、周士さんの言葉を借りれば「そもそも作り手が幸せ」なのだといいます。技術を学び、手を動かして暮らしに役立つものを作る。同じ作業の繰り返しに見えても、小さな変化や上達を感じ、日々達成感を感じるため、職人はおしなべて幸福度が高いと言われているそうです。
「いま、“依り代(よりしろ)”という新しいシリーズに挑戦しているのですが、捨てられてしまう節のある木や曲がった木を使って、無垢な表情を活かした木桶にしているんです。自然が生んだそのままのカタチと木桶技術のコラボレーション、面白いですよ!」と、その表情は満ち足りていました。幸せな人が作る道具は、きっと暮らしも豊かにしてくれるに違いありません。
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