「感覚の蘇生」をコンセプトに、身体感覚の変化を生み出す作品を探求するアーティスト、和泉 侃(いずみ かん)さん。最近ではホテルやアパレルブランドの香りを手掛けるなど活躍の場を広げています。私が初めてその作品に触れたのは、宿泊施設における香りを使ったプロジェクトでのことでした。現在は兵庫県の淡路島に拠点を移し、原料となる植物の栽培・採集・蒸留など、香りを制作するプロセスにおいて広い領域で取り組んでいます。和泉さんにとって香りとは何なのか、魅惑的で奥深い世界についてアトリエでお話をうかがいました。
初めて和泉さんのプロジェクトを体験したのは、以前取材した都心の温泉旅館「由縁別邸 代田」でのこと。香りが日常との境界線としてスムーズに機能していたように感じました。和泉さんはそもそもどういったきっかけで香りに興味を持つようになったのでしょうか。
「僕はもともと、プロのテニスプレーヤーを目指すほどテニスに打ち込む青春時代を過ごしていたんです。高校でテニスをやめて進学を考えたとき、MBAを持っているユニークな担任の先生から、『将来やりたいことが見つかったときのために、ビジネスとマーケティングを学んでおきなさい』と言われました。それがきっかけでビジネスを学べる大学に進学。在学中もなにかに熱中したいという欲求が強くて、東京中のお店を訪れるほどカヌレに夢中になっていました(笑)。でもどこかのめり込めずにいたある時、ふとキンモクセイの香りに包まれたことがあって、急に子供の頃の記憶が蘇ったんです。それから香りについて色々と調べたり試したりしているうちに、マーケティングで学んだ知識が繋がり、香りが人にどのように作用するか興味を持つようになりました」
キンモクセイの香りがきっかけだったんですね。香りとマーケティングが直結するという体験もユニークですが、ビジネスにはどのように繋がっていきましたか。 あまり職業としては一般的ではないですよね。
「香りそのものには興味を持っていたのですが、香水などの完成品よりも原料や混ざり方などに興味があり、いろいろな香料を買って自分なりに試したり、資格を取る勉強をしたりしながら香りの知識を深めていきました。その実証実験も兼ねていろいろな店舗に香りの空間プロデュースを提案してみたら、これが意外なほどスムーズに成功してしまったんです。ただ、この成功というのはお金がもらえたという意味であって、このままで良いのか疑問に思うようになりました。しかも、我流なので“なぜうまくいっているのかわからない”という状態だったんです。改めて“香りをビジネスにする”ということについてちゃんと勉強したいと思い、大学を辞めて香りで空間を作る会社に就職しました。それが19歳の時です」
それまで打ち込んでいたスポーツをやめてから、自分の道を定めるまで凄いスピード感ですね。会社に勤めていたところから、独立することになったきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
「その会社では香りを作るだけでなくビジネス全般について学びました。また、ホテルや店舗などの空間に香りを提供するということは、運用面での空調システムや配管などのメカニックへの知識も必要になります。ある施設では、もらった図面から設備が更新されていたので、自分で天井裏を確認しながら図面を引き直したこともあります(笑)。
メインの香りのビジネスとしては、ホテルブランドなどの『シグネチャーセント(ブランドを定義する香り)』を担当していました。名だたるブランドであっても、香りの選定プロセスにおいては個人の好き嫌いで判断されてしまうこともあり、ブランディングに落とし込む難しさを痛感しました。さらに、こちらも組織だといろいろな都合が優先されてしまうので、 “和泉 侃”という個人を賭けて向き合わないとこの仕事が業者扱いされてしまう危険性を感じたんです。それが再び独立するきっかけになりました」
たしかに新しいブランディングの手法などを取り込む際には、相手方のリテラシーや共通言語の浸透に時間がかかりそうですね。再び独立したときには、デザイナーやクリエイターではなく、“アーティスト”としてやっていこうと思ったのですか?
「独立してすぐの頃、江戸時代から続く帯の老舗『誉田屋源兵衛(こんだやげんべえ)』の山口 源兵衛(やまぐち げんべえ)さんとお仕事をさせていただきました。でも、山口さんとのプロジェクトはこれまでの仕事とプロセスが違いすぎて、正直戸惑いました。プロジェクトのMTGということで朝6時過ぎの喫茶店にうかがったら『侃ちゃんわかるか、桜は冬にみるんやで』といった具合で、ディレクションが独特なんです(笑)。もちろんわからないことは丁寧に解説してくれるのですが、表現者としての仕事の本質に触れた気がします。
その仕事で初めてお香を扱うことになり、勉強を兼ねて淡路島に来ることになりました。色々と試行錯誤を繰り返しながら、東京と淡路島を行き来すること足かけ2年。40以上のサンプルを経て、ようやく一つの香りを表現することができたんです。今まで培ってきたロジカルなコンセプトに、自分なりの解釈や表現というものが乗せられるようになったきっかけのプロジェクトでした。そのぶん消耗も激しくて、一つの仕事にかかる熱量がどんどん大きくなっていきました。淡路島でさまざまな出会いや人間関係が構築できたこともあり、こちらへの移住を真剣に考え出したのはその頃ですね」
「僕はもともと東京出身なのですが、仕事に対するスタンスが変わってきたとき、東京は情報や香りなどのノイズが多くてストレスになってきました。仕事に対してシリアスになっていたころ、淡路島に通っているのが心地よくなってきたんです。日本で最初に香木(沈香)が伝承したこの島に息づく香りの文脈と、今なお日本一のお香の生産量を誇る伝統産業があること、そしてまだまだ知らない植物などの原材料がたくさんあるということが理想的な環境に思えました。香りも生き物なので、原料の生産現場の近くに身を置くことで学べることが大きかったんです。畑に近いところで蒸留できることで、素材への理解度が一気に上がりました。
また、僕は子供の頃から匂いを良い悪いや好き嫌いではなく、情報として捉えていました。例えば体臭はその人が何を食べて、どんな生活をしているのかという情報なんです。植物も同じで、土壌や気候、品種の持つ役割など、なぜその匂いなのかという理由があります。逆に言えば、目立つ香りというのは異物でもあります。なので、初めての香りなのに、まるで昔からそこにあったような香りに興味がありますね。ブランドを表現するにしても、誰かが身につけるにしても、ある意味気付かれないくらい違和感のない自然な香り。それでいて記憶に残る不思議な存在を仕立てていきたいです」
このアトリエも、究極にシンプルですが、ノイズレスな環境を求めた結果でしょうか。 この場所ではどのような仕事をしているのですか?
「僕の場合はイメージを固めるまでのリサーチにほとんどの時間を費やしているんです。香りの組み合わせからイメージを作り上げる調香師さんなどもいると思いますが、僕の場合はコンセプトとテーマが定まれば、そこに合わせて素材のセレクションもだいたい終わります。そうやって匂いのイメージを作る場所として、極力生活感のない、無垢な場所が必要でした。空間デザイナーの柳原 照弘(やなぎはら てるひろ)さんにお願いして、一人だけで過ごす場所として作ってもらったのが、このアトリエ『胚(はい)』です。
レモングラスの茎とイブキの種を混ぜた壁も、1000枚の淡路瓦を焼いて作った作業台も、すべて土からできたもの。だから匂いをすべて吸収してフラットにしてくれるんです。大きな窓を一つ用意して、作業が終わると大きく開け放ってゼロの状態に戻す。そして、照明などは天井に隠し、できるだけノイズの少ない空間を作っています。また、すべての寸法は僕の身体のパーツを基準に作ってもらいました。快適すぎて、気がつくと朝まで仕事に没頭してしまうこともあったので、いまは仕事する時間を決めて作業に向かうようにしています」
今後はどのような活動を考えていらっしゃいますか。香りに対する考え方を社会実装するためのプロジェクトなどがあれば教えてください。
「2023年から、個人で受けてきたクライアントワークを『OLFACTIVE STUDIO Ne(オルファクティブ スタジオ ネ)』というチームで受けていこうと思っています。「Ne(ネ)」というのは、フランス語で一流の嗅覚を持っている人という意味の「Nez(鼻/ネ)」と「根」を掛けたもので、その場所に根を張るような、あるべき香りを作る専門組織です。作家としての活動は引き続き和泉 侃として続けていきますが、東京にいるほかの調香師などと組みながらスタジオワークとして活動していこうと思います。なぜなら、これまでの自分の活動を通して、世の中の香りに対する感度をあげることが次のステージだと思ったんです。目に見えないけれど香水を選ぶ気持ちは洋服を選ぶのと同じでしょうし、ルームフレグランスを選ぶセンスもインテリアの一部だとするならば、クリエイティブの一つとしてもっと一般の人に香りの必然性を感じてもらいたいです。
個人的に以前から和泉さんのお香やルームフレグランスを愛用していましたが、いずれもクリアなのに幾重にも重なったレイヤーに包まれたような奥行きのある香りが魅力でした。今回のインタビューを通して、和泉さんのクリエイティブコンセプトである「感覚の蘇生」について「人間は視覚と引き換えに嗅覚が衰えてしまったけれど、衰えた感覚が蘇生すればそれは進化に感じるはず。香りはそんな可能性を秘めている」と話していたのが印象的でした。朝の身支度から深夜の就寝まで、衰えた嗅覚を少しでも蘇らせようと、私の鼻は和泉さんの香りを求めていたのかもしれません。今後は個人だけでなく、チームとしてスタジオワークも展開する和泉さん。淡路島を舞台にした新たな試みも企画されているそうなので、どのようにプロジェクトが発展していくのか楽しみです。