黒川紀章の描いた未来に触れる
カプセルハウスK
黒川紀章の描いた未来に触れる
カプセルハウスK

私たちの働き方や暮らしは時代とともに変化し、家族の在り方や生き方も多様になってきています。そんな未来を予見した建築運動が1960年代の「メタボリズム(新陳代謝)」。その象徴ともいえるのが、ライフスタイルや用途に合わせてカプセルを交換する黒川紀章設計の「カプセル建築」です。代表作であった「中銀カプセルタワービル」は2022年に解体されてしまいましたが、別荘を想定したモデルハウスが森のなかにひっそりとその姿を残していました。

世界へ飛び立った日本の建築家たち

高度経済成長期に突入した1960年代の日本。戦後の復興から一気に工業化が進み、自動車や家電などの産業が急激に拡大していきます。1964年の東京オリンピックや1970年の日本万国博覧会など、国際的なイベントも開催されたことで、鉄道や高速道路などの社会インフラも整い、住宅やマンションの建設もラッシュを迎えました。こうした時代に変化の先を見据えていたのが、当時の建築家たち。丹下健三などの日本を代表する建築家が誕生し、日本のモダニズム建築が花開きます。「丹下研究室」では、磯崎新、黒川紀章、槇文彦など、現代建築を代表するメンバーたちが建築を学び、それぞれが世界へと飛び立っていきました。

黒川紀章の「カプセル宣言」

1959年、若手建築家たちが中心となって建築運動「メタボリズム」を提唱します。これは当時の高度経済成長による人口増加と都市の急速な発展による設備やインフラの更新に呼応したムーブメントで、建築や都市も機能や設備を更新していくことで新陳代謝(メタボリズム)を促し、成長していくという考えです。その象徴が黒川紀章による「カプセル宣言」。建築や設備の物質的な耐用年数と社会的に機能する年数がずれても、カプセルユニットを交換することで価値や機能を維持する構想を打ち出しました。集合住宅の中心にエレベーターなどのインフラを備えた「コアシャフト」を用意し、ライフステージや社会情勢の変化に応じてカプセルごと新陳代謝をしていくというコンセプトです。カプセル建築とは、この「カプセル宣言」に基づいた建築を指します。

まるでSFの世界が現実に

例えば子供が独立した家庭では、そのカプセルを外して趣味の空間や家庭菜園のスペースにすることができます。夫婦別室の寝室を持つことも、いまならサウナなんかにするのも良いかもしれません。そして、独立した子供はカプセルごと好きな場所へ引っ越し、新しい土地で新しい生活を始める。やがて結婚して家族を持ったら、お互いのカプセルを持ち寄れば最低限の生活空間を負担なく確保することができ、子供が生まれたら必要なユニットを追加すればいいのです。こうした考え方が市民権を得ていたら、さまざまなカスタムカプセルなども誕生していたかもしれません。暮らしの変化に合わせてカプセルをアップデートすることで、建築そのものを新陳代謝させていく。まるで、SFで描かれた未来都市のような世界観ですが、スクラップアンドビルドによる都市の再開発が止まらない現代においては、ある種のリアリティを感じさせます。

惜しまれつつ消えた「中銀カプセルタワービル」

このプロジェクトは1970年の大阪万博で「空中テーマ館住宅カプセル」や「タカラ・ビューティリオン」などのプレゼンテーションを経て、1972年の「中銀カプセルタワービル」に結実します。世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅で、都市部におけるプライベートオフィスやセカンドハウスとして構想されたものです。約6畳の占有空間にはベッドや収納、デスクとユニットバスが備え付けられており、その中にテレビやエアコン、電話やオーディオなど、当時としては最先端のアイテムがコンパクトに格納されていました。キッチンやランドリースペースはなく、食事や洗濯はコンシェルジュが手配するというのも画期的なサービスでした。銀座の一等地にこうした独立性の高い空間を持つというのがなんとも贅沢な発想で、140個のカプセルにはそれぞれオーナーが存在しました。カプセルハウスの社会実装として、ライフスタイルと建築の関係性に一石を投じた画期的なプロジェクトです。

姿を現した「カプセルハウスK」

しかし、「中銀カプセルタワービル」は新しいカプセルに取り替えられることなく、2022年に老朽化などの事情で解体されてしまいました。その動きと呼応するように、バケーションレンタル(貸別荘)としてわたしたちの前に姿を現したのが「カプセルハウスK」。中銀カプセルタワービル竣工の翌年、1973年に長野県の御代田町にある別荘地に建てられたモデルハウスで、茶室やキッチンを含む4つのカプセルによる居室空間、そしてマスターベッドルームを備えた“別荘プロジェクト”です。栗や松などが生い茂る奥深い森に佇むその姿は、まるで不時着した宇宙船のよう。外壁のコールテンがほどよくエイジングされ、中銀カプセルタワービルでは諸事情により叶わなかったドーム型の丸窓が実に印象的です。

思想と構造が露出したカプセル

プロジェクトの経緯について、黒川紀章の長男で現オーナーの黒川 未来夫(くろかわ みきお)さんにお話をうかがいました。

「この建物は実際に別荘として使用したことはほとんどなく、カプセル建築を別荘にしたらどうなるかという実証実験のような建物だったようです。コアシャフトを地中に刺せば、どんな傾斜地でも効率的な集合空間が作れるという発想です。過去の資料などを読んでいると、傾斜状にカプセルを取り付ける「カプセルビレッジ」という構想もあったようです。機能性を最優先に設計されたカプセルは、黒川の思想と建物の構造がそのまま形になった造形ですよね。これほど意図が明確な建築も珍しいのではないでしょうか。父の亡き後、一度は人手に渡ったのですが、私の方で買い戻し、民泊法に則って貸別荘にするプロジェクトを立ちあげました。ファンも多く、建築的にも意義ある存在だと思うので、多くの人に親しんでもらえたらうれしいです」

未来に故郷を夢想する

「カプセルハウスK」は道路と建物の屋上の高さを揃えているため、屋上にあたる部分から傾斜に沿って階段を降りるアプローチとなっています。中央のシャフトに備えられた玄関から室内に入ると中央のリビングスペースから放射状に各カプセルが備え付けられ、少しずつ高さの違うフロアを外周に沿うように繋いでいます。主寝室に降りる螺旋階段は玄関スペースから伸び、直径2.3メートルの特注窓によって想像以上に開放的な空間が広がっていました。「『2001年宇宙の旅』が公開され、アポロ11号が月に降り、誰もが未来を自由に想像できた時代の熱を感じる」と、未来夫さんは目を細めます。

室内には暮らしに必要な機能のみならず、暖炉や茶室まで備えられています。水屋まで備えた立派な茶室についてうかがうと「黒川は幼少期に茶室を勉強部屋にしていたと聞いています。本人にとってのノスタルジーであると同時に、日本人のアイデンティティとして表現したのでしょう。カプセル宣言の第五条にある『故郷とは、具体的な日常空間をこえた、精神的領域となるであろう』という言葉を思い出します」と話します。「唯識」と書かれた自筆の掛け軸と響き合います。

再びメタボリズムを

現在はこの空間に滞在したいという建築ファンはもちろん、撮影やイベント、お茶会など 世界中からさまざまなゲストが訪れています。今後の展望について、未来夫さんにうかがいました。

「父は国の未来に都市計画は欠かせないと考えていたようで、その中心にはいつでも人の暮らしがありました。その外側に住宅があり、その先に都市があると考えていたようです。ですから、どんなに小さな建物の設計でも、必ず周辺まで模型を作ってお互いの関係を綿密に計算していました。そうした思考の痕跡を感じてもらえればと思って、彼の著書をここに集めてあります。ただ、ついに一度もカプセルを交換する『メタボリズム』は実行されなかったので、現代の最先端技術で新しいカプセルを作ってこのコアシャフトに付け替えてみたいです。キッチンスペースの刷新や水回りの充実、別館としてライブラリーや露天風呂なんかを作るのも良いかもしれません。ゲストのニーズに合わせて新陳代謝を繰り返す宿泊施設。それこそまさに黒川の描いた夢だと思います」

あの頃描いた未来はリアルか

建設からおよそ50年の時を経て一般に公開された「カプセルハウスK」。枝葉のように伸びるカプセルの中に佇んでいると、不思議な浮遊感に包まれます。丸窓から見える豊かな自然が太古の世界にも、未来の世界にも感じさせ、ここが日本なのか異国なのかさえ定かではなくなるような錯覚に陥ります。パーソナルとソーシャル、都市とコミュニティなど、複雑な関係性の在り方が問われる現代において、暮らしの本質や生き方を見つめ直す仕掛けがたくさん詰まっているような場所でした。半世紀の歳月を古く感じるどころか、この建物はいま、まさにリアリティを持ってその存在感を強めているようにさえ感じます。

カプセルハウスK

〒389-0208 長野県北佐久郡御代田町茂沢
※詳細な住所はご予約の方にのみご案内いたします
※お問い合わせはメールにて承ります

https://miraikurokawa.jp

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