寛ぎのための館
葉山加地邸
寛ぎのための館
葉山加地邸

フランク・ロイド・ライトの高弟、遠藤 新が設計した「葉山加地邸」。長らく個人の別荘であった近代建築の秀作が、奇跡的な修復を経て誰もが滞在できる空間に生まれ変わりました。2020年の開業以来、葉山の地で唯一無二のひとときを演出するスペースとして、宿泊だけでなく結婚式やビジネスシーンの利用でも人気です。この場所でしか体験することのできない独特の時間と、美しい建築にまつわるエピソードをご紹介します。

ライトのスタイルを受け継いだ建築家

「国立西洋美術館(1959年)」を設計したル・コルビュジエや「ファンズワース邸(1951年)」で有名なミース・ファン・デル・ローエとともに「近代建築の三大巨匠」とされているフランク・ロイド・ライト。アメリカを代表する建築家であり、1921年には「旧帝国ホテルライト館(以下、帝国ホテル)」などの傑作を日本にも残しています。また、日本の建築や文化にも傾倒し、浮世絵の蒐集家でもありました。数々の世界遺産に指定される作品を世に残し、波瀾万丈の人生を送ったライトの生涯は、良き理解者に支えられた人生でもあったようです。そんなフランク・ロイド・ライトに学び、その建築様式を受け継いだのが遠藤 新(えんどう あらた)でした。日本においても、完成半ばで帰国を余儀なくされた帝国ホテルを完成に導き、自由学園明日館(みょうにちかん)での共同設計など、一人の建築家として数々の名建築を手掛けています。

寛ぎのためだけに誂えた建築

ライトも遠藤も、仕事の多くが個人の邸宅や別荘ということもあり、今なおその姿をとどめながらも一般に公開されている作品は多くありません。今回ご紹介する「葉山加地邸(はやまかちてい)」もそのひとつ。施主は三井物産の初代ロンドン支店長を務め、その後も重役や監査役を歴任した加地 利夫(かち としお)さん。当時はまだ葉山に別荘ブームが来る前で、辺り一帯は長閑な雰囲気だったといいます。要職を務め、多忙を極める身にとって、束の間の休息を求めてその場所で過ごす時間はかけがえのないひとときだったに違いありません。戦後はGHQに接収されたものの、その後も代々に渡って加地家により受け継がれ、プライベートな寛ぎの空間として活用されていました。「葉山御用邸」へ続く国道134号線から少し登った丘に建つその姿は、まるで遺跡のように荘厳で、豊かな山並みに溶け込んだみずみずしい空気をまとっています。

法改正で生まれた新たな魅力

しかし2016年、新しいオーナーを求めて転機が訪れます。加地家から受け継いだのが、現オーナーの武井 雅子(たけい まさこ)さん。食品の梱包資材などの事業を中心に、古い建物を商業施設やスポーツ施設に再活用するプロジェクトなども手掛けています。夫婦でクラシックカーの愛好家でもあることから、古き良きものへ縁がつながったといいます。

「ひと目見た瞬間からこの建物を残したいと思ったんです。企業のCSRとして修復と保存に努める案も出たのですが、それではこの建物の時間が止まってしまうような気がしました。かといってレストランなどの大規模改修は難しく、17年には登録有形文化財に指定されたので改修制限もある。保存と活用の道を模索していた2018年、『住宅宿泊事業法(民泊新法)』が施行されたことで貸別荘やレンタルスペースとして多くの方に使っていただくビジネスモデルが固まりました。2020年に引き渡された春、娘と二人で過ごしたのですが庭の桜が見事でした。テラスでゆっくり本を読んだり、娘がオンラインで授業を受けている様子を眺めているだけで幸せな気持ちになれたんです。建物は作り込みが細かく、来るたびに新しい発見があるので、ゲストの皆様にも通り過ぎるだけでは得られない時間を過ごしていただければうれしいです」

新たな役目を与える守護者

こうして新しい活路を見いだしたこの場所に、さっそくうれしい出会いが舞い込みます。支配人の松橋 直人(まつはし なおと)さんは、コロナ禍の2021年に目黒から葉山へ移住しました。葉山が好きで建築の愛好家でもある松橋さんは、支配人の募集をSNSで偶然知ります。もともとスキー選手だった松橋さんは、国内や海外のスキースクールで校長をしていました。その後、日本からのゲストを世界中のスキーリゾートにアテンドする仕事に就き、仕事柄いろいろなリゾートに滞在。世界の一流ホテルで過ごす間、その場所ならではといえるサービスの神髄に触れる瞬間に何度も出合ったそうです。

「加地邸の存在は知っていたのですが個人の別荘だと思っていたので、妻が募集の件を見つけてくれたときは信じられませんでした。ホテルで働いた経験はなかったのですが、これは縁だと思ってすぐに応募したんです。この場所はたくさんのゲストに画一的なサービスを提供する場所ではなく、あくまで目の前の一組のゲストに満足していただくための場所。お食事や滞在中のご希望はもちろん、スポーツやアクティビティなどのご要望もお手伝いしたいと考えました。いままでの経験を活かして、加地邸らしいサービスを提供できるのが楽しみです」

それはまるで小さな帝国ホテル

「葉山加地邸」が完成したのは、帝国ホテルの完成からわずか5年後の1928年。「ライトと濃密な時間を過ごした遠藤にとって、受け継いだ建築哲学を表現する絶好の舞台でもあったのかもしれません」と、武井さんは当時の写真も見せてくれました。さっそく館内を案内してもらうと、景観を損なうことなく周囲に溶け込む「プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)」によって強調された水平基調の景観、まるで水が流れるような緩やかな高低差でつながれた空間構成、表情が豊かな大谷(おおや)石を外から内へと引き込む遺跡のようなあしらいなど、帝国ホテルをギュッと凝縮したような建築です。さらに帝国ホテルと同じセントラルヒーティングを導入していたというから、その徹底ぶりは見事。現在は資料として地下に保存されている巨大なボイラー室からも、当時の贅沢な暮らしぶりがうかがえます。

受け継がれ、融和する様式美

この建築を特徴的なモノにしているもうひとつの要素が「全一(ぜんいつ)」と呼ばれる設計思想。ライトも自らの設計した空間と調和する家具をデザインしていましたが、遠藤もまた、ラウンジのソファやテーブル、照明などの空間に必要な調度品を作り出しています。そのモチーフは自然界からインスピレーションを得た幾何学模様が多用され、昼に光が入ってくる方向に照明が設置されるなど、自然の取り込み方は秀逸です。「自然の要素としてもうひとつ驚いたのが、風なんです。この建物には全部で4つの暖炉があるのですが、どれも火を付けるとすぐ燃え上がり、煙が綺麗に立ち上がるんです。これは暖炉が一般的な欧米でも実は見落とされがちなポイント。海が近いため比較的湿度の高い葉山において、この風通しの良さは特筆すべき機能美だと思いますね」と、建築愛好家の松橋さんらしい着眼点です。ラウンジの壁に施された金箔などは、タリアセンの金屏風を彷彿とさせます。

新たな建築家が吹き込む息吹

外観や間取りはオリジナルに限りなく近い形で修復されたものの、ゲストを迎え入れるためには改修も必要でした。その難題を鮮やかに解決したのが、建築家の神谷 修平(かみや しゅうへい)さん。その絶妙なバランス感覚は随所に見られますが、半地下の空間に誂えたユニークな浴室はこの場所を一層魅力的な存在にしています。もともと使用人のための空間だったこともあり、デザイン的な特徴や文化財としての制限も緩かったことが功を奏し、吹き抜けの浴室が完成しました。浴槽の半分が深さ20cmほどの「寝湯」スペースになっており、夕日が差し込むと左官仕上げの壁が光を受けて、なんとも幻想的なひとときを楽しめるそうです。「ディナー前に2時間もバスタイムを楽しまれたお客様もいらっしゃるんですよ」と、松橋さん。朝陽から夕焼けへと移り変わる光と影は、宿泊でしか得られない体験です。

葉山という土地の根に触れる体験

また、「葉山加地邸」にはレストランがない代わりに、ゆったりとしたキッチンが備え付けられています。朝市や魚市場に出かけてゲストが自ら腕を振るうのはもちろん、プライベートシェフなども招くことができるので、選択肢の多さはウエディングやビジネスカンファレンスでの使い勝手にもつながります。また、松橋さんに相談すれば近所の隠れ家レストランなどを紹介してもらえるというのもうれしい特典。取材時には、近所のデリカテッセン「AVEC(アベック)」から朝食を用意してもらいました。「私はもともとフランスのル・コルドンブルーでお菓子を作っていたのですが、加地邸での朝食にはイギリスで寮生活をしていた頃によく食べたイングリッシュブレックファストが合うかなと思って。加地さんとの不思議なつながりを感じます」と、AVECオーナーの馬庭 仁美(まにわ ひとみ)さん。まるで隣人のように接してくれる雰囲気に、空間だけでなく葉山という土地に溶け込むような感覚を覚えます。こうした古き良きものを活用し、次世代に伝えていくことでその価値を残す。車でも家でも、そういうことについてわたしたちはもっと真剣に考えるべきかもしれません。こうした体験は新しい価値観を育んでくれることでしょう。次回は展望室でライトの椅子に座り、じっくりと時の流れを味わってみたいものです。

葉山加地邸

〒240-0111
神奈川県三浦郡葉山町一色1706
Tel. 044-211-1711

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