日本の神秘に癒やされる
隠岐諸島Entô(前編)
日本の神秘に癒やされる
隠岐諸島Entô(前編)

都心からは物理的にも心理的にも遠く感じる島根県、隠岐(おき)諸島。いざ訪れてみると、神話の世界から地続きともいえる地球の歴史を感じる場所でした。東京から延べ6時間ほど、フェリーでの移動も含む長い旅は、まるで巡礼しているような神聖な気持ちにさせてくれます。前編では中ノ島や西ノ島など、隠岐諸島の魅力をご紹介。後編では、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」全域における冒険の拠点「Entô(エントウ)」の魅力についてご紹介します。

神話の舞台「隠岐諸島」

「隠岐(おき)諸島」は、島根県と鳥取県の県境から北方へ約60kmの日本海に位置し、「西ノ島」「中ノ島」「知夫里島」の3島からなる「島前(どうぜん)」と、「隠岐の島」の「島後(どうご)」にわけられています。この4つの島以外にも約180もの島々によって構成され、島前三島は約600万年前に海底火山の噴火により隆起した大地がカルデラとなったところに海水が浸水したことで、外輪山がそれぞれの島になりました。その神秘は日本最古の歴史書である「古事記/国生み神話」にも記載せれており、一説にはイザナギとイザナミが淡路島、四国と作り、3番目に生んだのが隠岐島とされています。

隠岐諸島は飛行機と船を乗り継がなければ辿り着くことができない、まさに秘境の地です。フェリーから海岸線を眺めていると、その入り組んだ美しさには人知を超えた存在を感じます。

地球のミステリアスを実感

隠岐諸島ではおよそ2億5000万年前の大陸移動から始まる地殻変動の軌跡をそのままを感じることができます。独自の生態系によって育まれた多様な生物と、それらの環境と共に紡がれてきた歴史や文化といった人々の営みをいまに伝えるエリアとして、2015年に「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。その範囲は陸域と海岸から1kmの海域をあわせた673.5km²(陸域346.0km²、海域327.5km²)におよびます。この地の生態系は未だ謎めいており、北海道と沖縄でそれぞれ生息している植物が同じ場所で生えていたり、太古の植物が今なお残っていたりと、まさに地球の歴史をそのまま残している場所です。

別世界の大自然が広がる「西ノ島」

フェリーで降り立った「西ノ島」は、島前の3島の中でもっとも対馬海流に接しており、古くから海洋交通の要衝とされてきました。火山島のため島内の高低差は大きく、島の東西に山脈が走り起伏に富んだ自然美を作り出しています。外海側の崖は長年にわたって風雨や波に浸食され、国立公園でもある「国賀海岸(くにがかいがん)」では奇怪な岩礁風景を見ることができます。国内最大級の海崖「摩天崖(まてんがい)」も必見で、幾層にも重なった地層など規格外のスケールに圧倒されます。また周辺には馬や牛が放たれ、長閑な風景とのコントラストが実に幻想的です。これらの放牧は「牧畑(まきはた)」と呼ばれ、400年以上も前から存在した独自の制度。特定の地域を区分し、4年サイクルで放牧と耕作を繰り返すことで地域資源を持続的に活用しようとしてきました。遙か昔から続く大地の軌跡とその上に成り立つ人類の営みは、まさにジオパークならではの光景です。

山全体が霊場の「焼火(たくひ)神社」

西ノ島には「焼火山(たくひさん)」という標高450メートルほどの山があります。この山は、島前全体を形成するカルデラの中央火口丘とされており、中腹には重要文化財の「焼火神社」が鎮座します。天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称「大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)」を祀り、海洋交通の守護神として信仰を集めました。また古くから神域とされていたため、手付かずの生態系が残っており「焼火神社神域植物群」として県の天然記念物にも指定されています。

山全体が荘厳な雰囲気に包まれており、ときおり木々の合間から覗く青い海が美しく輝きます。しばらく参道を歩き、巨大な老杉を越えると拝殿が現れます。左手奥にある岩窟に食い込むように建てられた本殿には、えもいわれぬ迫力を感じました。海上から浮かび上がった三つの火が社殿のある巌窟に入ったことが焼火権現の縁起とされ、龍灯祭という神事が今でも執り行われています。また明治時代に隠岐と本土を結ぶため開設された隠岐汽船では、焼火神社にあやかりの神紋をシンボルマークとして使っています。焼火神社の前を運行するフェリーは、昔のしきたりを守るかのように今でも汽笛を鳴らしながら通り過ぎていくのです。

“ごとばんさん”を癒やしたとされる「中ノ島」

西ノ島から内航船「いそかぜ」に乗って渡り着いたのは「中ノ島(なかのしま)」。今回の拠点となる「Entô」のある島です。「承久の乱(じょうきゅうのらん)」に敗れた後鳥羽(ごとば)上皇が送られ、その生涯を閉じた島でもあります。島に向かう荒れた海上で詠んだとされる「我こそは新島守よ 隠岐の海の荒き波風 心して吹け」という歌には、よもや配流の身とは思えない毅然とした態度が伺えます。しかし、その心中は悲嘆に暮れることも多かったようで、隠岐での歌を綴った「遠島百首」には寂しさを募らせた歌も散見します。そんな後鳥羽上皇を癒やしたのが中ノ島の人々とされており、子牛が角を突き合わせる姿を見て上皇が喜んだため、「隠岐の牛突き」がはじまったと言われています。島民に受け入れられた後鳥羽上皇は、いまでも親しみを込めて「ごとばんさん」と呼ばれています。

オープンマインドの「海士(あま)町」

こうしたエピソードは、古来より海洋交易の拠点として栄えた歴史的背景も大きく関係しているようで、後鳥羽上皇の後にも、後醍醐(ごだいご)天皇や小野篁(おののたかむら)をはじめ、これまでに3,000人を下らない人々がこの島に送られてきたとされています。近年では行政の積極的な取り組みによって島への短中期的滞在を促す「島留学」「島体験」などのプロジェクトを立ちあげるなど、移住者は年々増加。今なお島外から人々を呼び込む気風が感じられます。名水百選に選ばれた「天川(てんがわ)の水」は一日に400トンも湧き出し、豊富な地下水によって島前三島の中で唯一田園風景が広がります。古墳や土器、縄文時代の遺跡が出土するなど、大昔から豊かな自然に囲まれ、暮らしやすい環境であったことがうかがえます。さらに、出雲大社と同格の名神大社に位置付けられている「宇受賀命(うづかみことじんじゃ)神社」、後鳥羽上皇を祀った「隠岐神社」など歴史的な魅力も多い隠岐諸島。島前島後を含めたジオパーク全域を楽しむための拠点施設として、2021年に「Entô」が生まれました。

ジオパークの泊まれる拠点

「大地の公園」とも訳されるジオパークですが、隠岐ユネスコ世界ジオパークは海域も含めた珍しいジオパークです。「Entô」はその活動拠点であり、宿泊のできる拠点施設として「全ての人に開かれた施設」を目指しています。都市から離れ、繁華街もコンビニもない場所だからこそ、日本の秘境をじっくりと堪能できる場所です。株式会社海士 代表取締役の青山 敦士(あおやま あつし)さんは、「遠島(えんとう)であることは、私たちの誇り」と、ネーミングにも込められた想いを話してくれました。次回は日本初の本格的なジオ・ホテルとして誕生した施設「Entô」をご紹介します。

Entô

〒684-0404
島根県隠岐郡海士町福井1375-1
Tel. 050-3198-9491

セゾン・アメリカン・エキスプレス®・カードが
ご利用いただけます。
https://ento-oki.jp

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