2023年10月に建国100周年を迎えたトルコ共和国。日本の2倍ほどある国土はボスポラス海峡を挟んでアジア大陸とヨーロッパ大陸にまたがり、北は黒海、南は地中海に面しています。古代ギリシャからオスマン帝国時代まで、数々の歴史と文化を紡いできたこの国には、ミステリアスでありながらどこか親しみを感じる不思議な魅力があります。前編ではトルコのなかでも数々の世界遺産や遺跡が残る南東部エリア、後編ではエキゾチックな国際都市イスタンブルをご紹介します。
トルコ共和国(Republic of Türkiye)は、2023年にムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領による共和国の樹立から100年を迎えました。しかしその土地を舞台にした歴史は古く、アジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶ立地は古くから陸と海の交易路として栄えます。旧石器時代からアジア大陸を縦横無尽に駆け抜けたトルコ系民族は、遊牧生活の中で混血や文化の融合が進みます。現在までに70種類以上もの民族、18もの文明が存在したと言われ、目の色も肌の色も髪の色もさまざま。この国を訪れた際に感じる文化や風土、民族性の印象を一言で表現することは難しいかもしれません。1985年にユネスコ世界遺産に登録された「ギョレメ国立公園とカッパドキア」をはじめとする歴史的な遺跡も多く、さまざまな人や物、情報が行き交うことで、アジアともヨーロッパとも違う独自の文化を形成してきました。最大の都市であるイスタンブルや首都のアンカラ以外にも、まだまだ興味深い歴史と文化を持つトルコ。前編では人類のルーツを求めて南東エリアの街や遺跡をご紹介します。
マラティアはイスタンブルから国内線で2時間ほどの場所にある標高1000mの街。ユーフラテス川上流部の肥沃な土壌と気候に恵まれ、農業地域として発展した歴史を持ちます。特に杏(アプリコット)の産地として有名で、世界に流通しているドライアプリコットの80%近くがこの場所で生産されています。トルコ東部における交通拠点でもあり、鉄道やバスが主要都市へと伸びています。また、空港は中心部から30分ほどの場所にあり、夏の間はドイツを中心とする海外からの帰省に合わせて国際線も運行されています。郷土料理も盛んで、牛肉に子羊の肉を混ぜて薄い紙で包んだ「キャウットケバブ」、酸味がクセになる「タルハナスープ」など、素朴なトルコの郷土料理は日本人にも親しみやすい味わいです。この古都の歴史を物語る遺跡が「アルスランテペ」。ヒッタイト帝国時代から連綿と続く人々の暮らしと、未だ多くの謎に包まれる歴史を鮮やかに照らしています。
「ライオンの丘」という意味を持つこの遺跡は、アジア大陸最西部のアナトリア地方最古の集落都市です。2021年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。ユーフラテス川の氾濫を避けて小高い丘の上に建てられ、周囲には杏畑がどこまで続きます。太古から続く文明の主要地であったとされているこの場所は、農耕時代の支配階級によって統治されていたことがわかっています。農作物の貿易などが盛んで、流通が管理されていた証拠として2000本以上の印鑑なども出土しました。2019年に行われた発掘調査では金属製の道具や陶磁器のカップ、楽器などの遺物が発見され、ヒッタイトの高度な文明を紐解く鍵としてマラティヤ考古学博物館に収蔵、展示されています。ほかにも王家の墓や剣、壁画など多くの歴史的遺物が数多く出土し、中近東の主要文明の交差点に位置する国家形成の足跡を伺うことができます。
続いて訪れたのが「ネムルート山」。標高2,134mの頂上には、古代コンマゲネ王国の王であるアンティオコスⅠ世の墳墓が残されています。こぶし大の石を積み上げた美しい円錐形の塚で、周囲には巨大な石像が並びます。「王の星占い」と呼ばれるレリーフには、王位を授かったとされる紀元前62年7月7日の日付が刻まれ、伝承によるとこの日の夜空の獅子座の上に水星と火星と木星が一列に並んだと伝えられています。そのため、このレリーフは世界最古のホロスコープなのではないかと推測されています。自らと祖先を神々と共に祀るために建設した宗教芸術ともいえる遺跡。アルスランテペから車で2時間ほどの道程は、荒涼とした景色と細い参道が山頂まで延々と続きます。頂上から眺める夕陽はトルコ一と言われ、おそらく太古の人々も変わることのない風景を眺めていたことでしょう。当時の神官たちはこの道を一歩ずつ登り、この場所で儀式を行ったのだと思うと、信仰の強さと悠久の時の流れを感じます。
翌日はトルコ南東エリアの中心地シャンルウルファを訪れました。「信仰の父」とも呼ばれる最初の預言者、アブラハムが生まれた場所とされている「バルクルギョル」は、信仰の地として多くの参拝者が訪れる一方、公園内にはカフェやモスクもあり和やかな雰囲気に包まれています。街には昔ながらの市場が姿を残し、色鮮やかな香辛料やアンティーク、日用品までさまざまなマーケットが迷路のように広がります。名物料理も多く、美食の街としても知られ「ギョペクリ・テペ ガストロノミーセンター」のシェフ、ザフェル・クラク(Zafer KULAK)さんによれば「ケバブ料理の本場なので、伝統的なトルコ料理を楽しめます。辛いものがお好きな方には唐辛子を混ぜたアダナ・ケバブなどがおすすめです」とのこと。古代都市「ハラン」では、古代哲学を教えていた「ハラン学校」の遺跡跡を見学したり、伝統的な家屋で民族衣装が着られるなど、当時の暮らしぶりに触れることができます。
オリーブやピスタチオの樹が延々と植えられ、馬や羊が草を食べるトルコの原風景を通って辿り着いたのが「ギョべクリ・テペ」。1963年に発掘が始まって以来、さまざまな歴史を覆している遺跡で、2018年に世界遺産に登録されました。歴史上最古の文明とされてきた5000万年前のメソポタミア文明よりも遙かに古い1万2000年前の建造物は、宗教施設だという説が有力です。これが事実だとすると、農耕が始まる前に宗教が存在していた可能性を示唆しています。円環状に積み重ねられたいくつかの聖域で構成され、石柱や石壁には動物のレリーフが多く刻まれています。200本を超える柱のような遺跡は「人」を表現しており、出土した石像にはイースター島のモアイ像と共通する意匠なども見受けられるといいます。また、これだけの大規模な宗教遺跡でありながら、周囲に住居の跡がないことも不思議で、まだまだ多くの謎に包まれている遺跡です。現在の発掘状況は全体の5%ほどとのことで、今後の調査に期待がかかります。「人間の文明がどのように始まったか」という人類のルーツに触れる刺激に満ちた体験でした。
今回の旅ではトルコ南東部のさまざまな都市や遺跡を巡りました。いずれも太古から地続きの文明や歴史など、人類のルーツに迫る体験でした。目の前の遺跡とどこまでも続く大地を見つめていると、机の上で勉強しただけでは得られなかった歴史のリアリティを感じることができます。特にギョべクリ・テペでは、農業から文明が始まったと教わった“常識”が鮮やかに覆されました。我々の祖先が生きていくために農業をはじめ、集落を形成して定住し、社会や階層という概念が生まれる。その先にさまざまな信仰を持ったという説よりも、私はこの地でドイツの考古学チームを率いた故クラウス・シュミット氏の「神殿を建てるために多くの労働力が必要になり、その働き手の食料を確保する手段として農業を始めるに至った」という説の方がしっくりきます。自然や理解の及ばない現象を畏怖し、崇める気持ちはきっといまよりも強かったことでしょう。久しぶりに異国を旅したことで視点が変わり、興味が広がるのを実感しました。後編では、トルコ共和国最大の国際都市であるイスタンブルをご紹介します。
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