アートをじっくり、深く、観察する
フェンバーガーハウス
「ディープ・ルッキング」という提案
アートをじっくり、深く、観察する
フェンバーガーハウス
「ディープ・ルッキング」という提案

美術館で作品を鑑賞するとき、どれくらいの時間をかけ、どんなふうに鑑賞していますか。長野県佐久市にあるフェンバーガーハウスは、じっくりと時間をかけてアートを鑑賞する「ディープ・ルッキング」を提案する美術館。スマホの小さな画面に溢れる情報に注意を奪われがちな現代、「深く観察すること」は私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。館長のロジャー・マクドナルドさんを訪ね、お話をうかがいました。

アートキュレーターによる私設美術館

長野県佐久市の森に佇む「フェンバーガーハウス」は、アートキュレーターのロジャー・マクドナルドさんが館長を務めるアートセンター兼私設美術館です。山小屋を改装した「HOUSE」と、アメリカのオレゴン州から輸入されたパシフィックドーム社のテントを用いた展示室「DOME」の2棟で構成されたアートスポットで、美術展の観賞をはじめ、滞在型のワークショップやレコード鑑賞会などが開催されています。営業期間は雪が溶けた5月上旬から、雪が降り始める前の11月下旬まで。年に2度入れ替わるロジャーさんのキュレーションによる美術展や、独自のアート体験を求めて日本全国からゲストが訪れています。

神秘宗教学と美術史を学んで

取材でうかがった日は、まもなく年内の営業が終わろうとしていた11月下旬。この日は、「アヴィヤクタ・チャイティヤ」と題された「目に見えない神秘的な世界」を表現した作品を集めて展示されていました。「この展示は、神秘宗教学と美術史の交差をコンセプトにしていて、実はこれは私の研究テーマでもあるんです」とロジャーさん。イギリス人の父と日本人の母のもとに生まれ、8歳まで日本で過ごしたのちに渡英。ウェールズ大学で国際政治学を専攻、ケント大学大学院で神秘宗教学と美術史の博士課程を修了しました。「瞑想や神秘的な体験に関心があり、そういった学問があると知ったことがきっかけでした。まだ神秘的なものにあまり理解のない時代でしたから、周りからは“ロジャーは一体何をやっているんだ?!”と不思議がられていました」と当時を振り返ります。ちなみにロジャーさんが院生時代に使っていたニックネームが「ドクター・ダニエル・フェンバーガー」。美術館の名前はここから付けられています。

自宅に招かれたような居心地のよさ

1998年からインディペンデント・キュレーターとして活動を始め、2001年より東京の代官山を拠点とするNPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]を仲間と共に立ち上げたほか、国内外のさまざまな展示に携わってきたロジャーさん。長野への移住を機に、2014年にフェンバーガーハウスを設立しました。フェンバーガーハウスでの滞在は完全予約制で1日6人まで。参加者は13時30分までに現地に集合し、ロジャーさんによる解説とともにDOMEでの美術展を鑑賞します。その後はHOUSEに戻って参加者同士で話したり、意見交換をしてゆったりと半日程度の時間を共有します。
「時々ソファで眠りに落ちてしまう方もいたりして、私としてはそんなふうにリラックスして過ごしてもらえることも歓迎しています」

希望をすれば12時からは畑で採れた野菜のローストやフムス、ローカルなパン屋さんのパンや自家製のチャツネなど、ロジャーさん特製のランチを頂くこともできます。まるで自宅に招かれたようなアットホームな雰囲気や居心地のよさも、美術館らしからぬ魅力です。

アートを観察する「ディープ・ルッキング」

「今、アートの鑑賞時間は非常に短くなっています。2001年に行われたある調査によれば平均27秒とも言われており、これでは表層的なイメージを消費するだけ」と話すロジャーさんが提案するのが、「ディープ・ルッキング」という鑑賞法です。

ディープ・ルッキングはアートを「じっくり観察」する行為で、3つのプロトコル(プロセス)を約20〜30分かけて行います。まず観察する作品を決め、どのような作品かをじっくり確かめる。このとき大切なのは、作品のフォルムを目で追い、テクスチャーや筆致に目をよく凝らすこと。次に鑑賞している作品から意識的に一旦離れてみる。そして最後に再び作品と出合い直す。「時間を気にせず、じっくりとディープ・ルッキングを体験できる場所として、実験的にこの美術館を作りました」というロジャーさんの狙いどおり、非日常的な鑑賞体験を求めるゲストがほとんどだと言います。実際に体験してみると、ある瞬間に自分が作品の中に入り込むような感覚が新鮮で、作品に対する愛着や理解度が格段に深まったように感じます。

耐える時間も貴重である

深い観察ができると意識はいつもの状態を離れ、非日常の意識状態に「旅に出ている」とロジャーさんは表現します。できれば複数名で行い、観察の中で体験したことを言葉にして、他者と共有することも重要だと言います。
「同じものを観察しても、それぞれ全く違う体験をしているはずです。一人で行う場合はノートに書き出しても良いでしょう」

しかしすべての絵に対してディープ・ルッキングをする必要はないとも続けます。「まずは好きだと感じた作品に対して行ってみるといいと思います。そして、苦手だな、好きではないなと感じる作品にもぜひ試してみてほしいのです。嫌なものはスクロールして避けることができる時代ですが、苦手なものと対峙して耐えるという時間も貴重ではないでしょうか。きっとそこからも感じ取れるものがあるはずです」

自分自身を再発見するきっかけ

「もともと私が行っていた自己流の鑑賞スタイルを『ディープ・ルッキング』と名付けました。非日常の意識状態で物事をじっくりと観察する行為は、凝り固まった思考や観念をほぐし、社会や世界をニュートラルな目で見る作用をもたらします。しかし、正しいやり方を完全にマスターする必要もありません。大事なのはじっくりと時間をかけて観察すること。自分がもっとも深く観察できるやり方を見つけてみてほしいと思います」

履歴によるサジェストやユーザーによる評価機能が発達し、興味のあるもの、誰かが良いと言ったものに囲まれて暮らしている現代。便利で失敗が少なくなる一方で、私たちは「自分が本当は何を感じているのか」という感覚が薄れていく危機感も抱えています。ディープ・ルッキングをきっかけに、時間をかけて観察してみる癖をつけることは、自分自身や世界を再発見するきっかけになりそうです。

フェンバーガーハウスの営業再開は次の5月ですが、2024年2月2日〜18日まで、今回展示されていた「アヴィヤクタ・チャイティヤ」展が東京都写真美術館B1F展示室にて展示されます。ぜひこの機会に足を運んで、ディープ・ルッキングを試してみてはいかがでしょうか。

Fenberger House(フェンバーガーハウス)

〒384-2202 長野県佐久市望月2197-177
営業期間:5月上旬〜11月下旬

https://www.fenbergerhouse.com

お知らせ

・2024年初夏には、AIT主催のワークショップを開催予定
・書籍『ディープ・ルッキング:想像力を蘇らせる深い観察のガイド
(AIT Pressより2022年6月発売)

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