お酒に弱いのだが、シャンパン(シャンパンの正式名称はシャンパーニュChampagne だが、地名とかぶるので、ここではお酒はシャンパンと表記)だけは好きだ。天気の良い日に朝風呂に入って、湯上がりに飲むキリッキリに冷やしたシャンパンの味わいは格別。ヨーロッパのホテルでは、朝食にシャンパンを用意しているところもあるので、シャンパンだけは朝から飲んでもよいお酒、ということになっているのだろう。
黄金色の魅惑的な色と、絶え間なく立ち上る気泡。口に含んだときの馥郁(ふくいく)たる香りと、喉を踊るように滑っていく爽快感。ひとを弾けるような気分にさせ、高揚感と華やかな気分に誘うお酒は、シャンパンを措いて他に見当たらない。かつて、ロシアのロマノフ王朝は世界でも有数のシャンパン・ユーザーだったそうで、輸送用の貨物列車まであったそうだ。いかにも華やかな王宮にふさわしい話である。それとも、特産のキャビアを美味しくいただくためには、何としてもシャンパンが必要だったのだろうか……。
シャンパンに魅せられて、パリに行った折にはついシャンパーニュ地方に寄りたくなる。パリから東北東方面へ距離にして約120〜130km、レンタカーでのんびりドライブしても2時間ほど。パリ東駅からTGVでシャンパーニュ=アルデンヌTGV駅までわずか45分。充分、日帰り圏内である。中心はランス(Reims)。ノートルダム大聖堂が有名で、シャガールのステンドグラスは必見。フジタ礼拝堂も素晴らしい。藤田嗣治(レオナール・フジタ)が大手シャンパンメゾンの一つ、マム社(G. H. Mumm)の支援を得てつくったもので、よく見るとフレスコ壁画の端に本人と夫人の肖像が小さく描かれている。
初めて訪れたのは、シャンパーニュのもう一つの中心地、エペルネー(Épernay)だった。LVMHグループを構成するモエ・エ・シャンドン(Moët & Chandon)の本社があるところだ。石灰岩の洞窟に張り巡らされたモエの数10kmにも及ぶ長大なワインカーヴにも驚いたが、シャンパーニュの景観の素晴らしさにはさらに息を呑んだ。訪れたのは夏の盛りだったが、なだらかな丘陵地が幾重にも波打つように続く一面の葡萄畑は、カンナで削ってヤスリで磨いてさらにその上を透明の漆でも吹きつけたかのように光り輝いていた。思わず、車でひと回りしたくなったが、途中でどこを走っているのか分からなくなり、あわてて引き返した。「これが農業か? ひとの手でつくりあげたものなのか?」と思えるほど、シャンパーニュの田園風景はあくまで美しく、清潔で、管理が行き届いていて、最高のお酒をつくる葡萄園としての品格にあふれていた。2015年に世界遺産に登録されたそうだが、もっともなことだと思う。
シャンパーニュ地方には約16,000の葡萄農家があり、360社のメゾンと呼ばれるシャンパンハウスがあるそうだが、お互いに競争しつつ、あたかも一つ屋根の下にいるような組織だった動きをしている。その要のひとつがシャンパーニュ委員会(Comité Champagne)の存在だろう。シャンパーニュ地方全体の利益を守るための半官半民の組織で、原産地呼称制度(AOC)の厳密な守護者である。それも、シャンパーニュでつくられた、シャンパーニュ方式(メトード・シャンプノワーズ、詳細は省略)によるもののみを「シャンパーニュ」と呼ぶことを認め、世界規模で「シャンパーニュ」のブランドを守っている。ちなみに、ボルドーやブルゴーニュ、ロワール地方など、フランス各地でもシャンパーニュ方式による上質なスパークリングワインがつくられているが、こちらは「クレマン( Cremant)」と呼ばれている。シャンパーニュ方式でないものは「ヴァン・ムスー(Vin-mousseux)」である。
現在では、シャンパンと他のスパークリングワインは厳密に区別されるようになっているが、シャンパーニュはその全存在をかけて懸命にブランドを守ろうとしている。ところで、日本は世界でも有数のシャンパン輸入国であるが、世界何位かご存知だろうか。米、英に次いで何と3位、その数1,430万本。和食に合い、女性に似合うせいか、愛好家は大きく増えているようだ。コロナ禍が収まったらさっそく、シャンパンで祝杯を挙げたいものだが、果たしていつのことになるやら……。
(※データはシャンパーニュ委員会の年次報告「2019年版」による。)
文章:飯田徹 イラスト:石川理沙(500ml)