PT Column 2021.03.15

ウッドストックの禅堂

Column No. 6

ニューヨークのマンハッタンから車で数時間走ったところに、豊かな自然を擁するキャッツキル(Catskill)山系がある。ウッドストック(Woodstock)は、そのふもとに広がる丘陵地で、広大な牧草地や農場の広がるのどかな「田舎」と言っていい。1969年8月、4日間にわたって繰り広げられた大規模な野外コンサート「ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)」は40万人もの観衆を集め、音楽イベントの記念碑的な存在になっている。

1980年にはその余韻も冷め、ネクタイを締めたヒッピーたちは長髪を切り、ヒゲを剃って、社会の中に溶け込んでいった。しかし、精神的には「愛と平和と反戦」の気分は心の底にしまわれており、それが「禅」の世界に向かうモチベーションにもなっていたようだ。この年の冬に、ウッドストックの近くに創設されたばかりの「Zen Art Center(現・マウンテン禅院)」が、1週間の体験プログラムを募集していたのでほんの軽い気持ちで参加してみた。

車で片道数時間ほどのドライブで、着いてみて驚いた。禅堂は元ドミニコ会の大きな修道院で、聖堂の壁面から十字架が取り除かれているだけで、どこから見ても「禅」を思わせるイメージにはほど遠かった。しかし、「これぞ何ものにもとらわれない新しい<アメリカ禅>の象徴」を感じさせて、清々しかった。

230エーカー(約28万坪)もの広さの自然の中にたたずむ本堂は木造で、日本庭園に面した明るく軽快なデザイン。厳粛な禅寺というより、若者たちが気軽に禅を学ぶためのトレーニングセンターという雰囲気だった。カミさんと生後11ヶ月の長男は、別棟のローリ大道老師(Daido John Loori、1931-2009)のご家族と一緒に過ごさせていただいた。まだかなり雪の残る、清潔感にあふれた禅堂だった。

詳しい日常の修行日程は忘れてしまったが、30名ほどの参加者と一緒に、無言の清掃、無言の食事、無言の回廊巡り、そして1時間ほどの座禅と摂心(ローリー大道老師との短い対話)などがあり、それを繰り返すのが1週間の集中瞑想プログラムだった。気軽に参加したつもりの瞑想プログラムだったが、ここで私の人生は一変してしまった。

毎日の座禅でさまざまなことが脳裏をめぐり、ローリー大道老師と短い言葉を交わすうちに、考え方が徐々にシンプルになってきた。最初のうちは「座禅で脚が痛い」というと「それはいい体験です。No Pain、No Gain」と言われ、「庭に出てくるのはアライグマ(Raccoon)ですか、それとも狸(Raccoon Dog)ですか?」などと尋ねて、即座に一言「Natural Creatures(自然の生き物)」。精神の散漫なことが自分でもよく分かる。

そのうち、「禅のアートとはどういうものですか?」と問うと、ローリー大道老師は、無言で自著の小さな写真集を手渡してくれた。白黒の画像は日本の水墨画に似て、自然をモチーフに自らの心象風景を表現したものだった。それを眺めているうちに、人生には限りがあることに気づき、自分の頭で物事を考え、自分の責任で行動することの大切さを感じた。

この子をアメリカ人にするべきか、それとも日本人として育てるべきか、
このままニューヨークで仕事を続けるべきか、日本に帰るべきか
両親が老いたら、長男の自分以外に誰が面倒をみるのか
両親が年老いてから帰国して、果たして仕事はあるのか
日本の伝統や文化に余りに無知だが、このままでよいのか

70年代の変化に富んだニューヨークを7年以上も楽しみ、帰国することなど微塵も考えたことはなかったが、翌1981年4月には家族を連れて日本に帰っていた。最初の1年こそ、逆カルチャーショックで自律神経失調症に悩まされ、医者通いを続けたが、慣れてくると、好調な経済成長の波にも乗り(当時は気がつかなかったが、いわゆるバブル経済)出版・編集の事業もあっという間に軌道に乗った。

人生の転機は、思わぬ瞬間にやってくるものである。

※岩本明美著『アメリカ禅の誕生 ローリー大道老師のマウンテン禅院』を参考にさせていただきました。

文章:飯田徹 イラスト:石川理沙(500ml)