PT Column 2020.12.14

ダコタハウス

Column No. 3

2020年10月9日(金)から2021年1月11日(月、祝)まで、東京・六本木のソニーミュージック六本木ミュージアムで「DOUBLE FANTASY John & Yoko」と題した展覧会が開かれている。今年はジョン・レノンの生誕80周年であり、没後40周年に当たる。開催日の10月9日はジョンの誕生日で、ヨーコとの間に生まれた息子ショーンくんの誕生日でもある。かつて“隣人”だった縁で何ともなつかしく、早速、見に行った。

展覧会は、ふたりの誕生から出会い、現在までの音楽活動を克明に展示している。しかし、ふたりが新婚時代に英アスコットのティッテンハースト・パークに購入した白亜の邸宅の画像はあったものの、長年ニューヨークで暮らしたダコタハウスの画像は1枚もなかった。

ビートルズを解散してジョンとヨーコがニューヨークに移り住んだのは1971年夏のこと。10月にはグリニッチ・ビレッジのアパートで暮らしはじめ、1973年5月にセントラルパークウエスト72丁目のダコタハウスに移っている。しかし、9月に二人は別居(詳細省略)、ジョンがロサンゼルスから戻ったのは1975年1月だった。この年の10月にショーンくんが誕生すると、ジョンは「House Husband(主夫)」宣言をして家事と子育てに専念、1976年7月には念願の永住権も取得し、75年から80年までの5年間は、もっとも満ち足りた日々だったのではなかろうか。

私たちもちょうどこの頃、クイーンズからマンハッタンに移り、セントラルパークウエスト72丁目の通りを挟んだダコタハウスの斜め向かいのアパートで暮らしはじめた。その前を通るたびにダコタハウスを仰ぎみたCPWは憧れの場所だったのである。そんな折、ジョンが幼いショーンくんをおんぶし、黒いビロードの襟がついたちゃんちゃんこを着て、ネギを片手に歩く姿とすれ違ったことがある。こちらを日本人と意識してか「ハーイ!」と気さくに声をかけてきて、しっかり主夫を楽しんでいる様子だった。

駐車場も、ダコタハウスの隣のタワーマンション地下を使用しており、サイケデリック調にペイントされたジョンの黄色いロールスロイスと、こちらのグリーンのカマロが並んで置かれているのを見たときは、わが目を疑った。黄色いロールスロイスは現在、グッゲンハイム美術館の収蔵品になっており、ときどき展示されている。

ジョンが亡くなる前に収録した最後のアルバムDouble Fantasyに収めた曲「Beautiful Boy(Darling Boy)」はショーンくんを歌ったもので、何度聴いても胸が熱くなる。「(Just Like)Starting Over」「Woman」、それに「Happy Xmas(War Is Over)」「Imagine」などは後世に残る名曲だと思う。

ダコタハウスはシンガーミシンの2代目社長、エドワード・クラークがドイツ系の建築家に設計させたもので、1884年に竣工している。完成当時の写真を見ると、周辺には建物がひとつもない。そこで当時「ダコタの砂漠にでも建てられたかのようだ」といわれたことから、いつしかダコタハウスと呼ばれるようになったそうだ。いかにもドイツ風の重厚な構えは、ちょっとしたお城のようにも見える。ちなみに、5番街とセントラルパークの角に位置するプラザホテルもエドワード・クラークが同じ設計家にデザインさせたもので、こちらはフレンチ・ルネッサンス風のソフトな外観をしている。

ダコタハウスには当時、作曲家で指揮者のレナード・バーンスタインなども住んでおり、いかにもこうした人たちが住むのにふさわしい風格を備えている。建築家の安藤忠雄さんに「住まいは魂の拠り所」といわれたこともあり、家を建て替えるときには随分と気を遣った。気を遣いすぎただけでなく、予算も使いすぎた。にもかかわらず、子どもたちはこの家で育ちながら、すでにそれぞれの暮らしがあるのでいらないという。「魂の拠り所」の中で、途方に暮れている。

文章:飯田徹 イラスト:石川理沙(500ml)