2001年9月11日(火)午前、ニューヨークのWTC(ワールドトレードセンター)に2機の旅客機が激突、「アメリカ同時多発テロ事件」が発生した。他にもペンタゴン(米国防総省)へ突入するなど、ハイジャックによる2機のテロ事件が発生、米国の空は、どこにハイジャック機が飛んでいるかわからない状況になっていた。
このとき私はちょうど、バハマのテーマパークリゾート「アトランティス・パラダイス・アイランド(Atlantis Paradise Island)」の取材を終え、アメリカン航空でマイアミからシアトル経由で帰国の途上にあった。午前8時半ごろの出発だったと思う。つまり、同じ時間帯に米国の上空を飛んでいたことになる。
突然、機長のアナウンスで「ニューヨークでハイジャック事件が発生したもよう。正午までにいずれかの空港に着陸しなければならないので、ダラス・フォートワース空港へ向かう」とのアナウンスがあった。あとで知ったことだが、正午過ぎまで飛行している航空機はハイジャックされていると見なされ、米軍機によって撃ち落とされる可能性があったのだ。
ダラスはアメリカン航空の本拠地なので、そこへ向かうのはごく自然な成り行きだった。しかし、ダラスの駐機場はすでにいっぱいだった。そこで、降りられる空港探しが始まった。時刻はすでに10時半を過ぎていた。「このまま降りられなかったらどうなるか?どこかの砂漠にでも不時着するのだろうか……」などと不安を抱えながら、膝の間に頭を突っ込んでじっとしていた。
降りたのはアーカンソー州リトルロックだった。乗客から思わず拍手が沸いた。しかし、まったくなじみのない都市だ。飛行機を降りた乗客の多くはレンタカーのカウンターに走った。だが、すでに先着した航空機の乗客に借りられていて、すべて出払っていた。グレイハウンドのバスターミナルに向かう乗客もいたし、車のディーラーを探して車を買って帰るという乗客もいた。
米国の法律では「航空会社は乗客を最終目的地まで送り届ける責任を負う」ことになっているようで、ミドルクラスのホテルの宿泊券とミールクーポンを渡され、滞在中の費用を負担してくれた。次の日から毎朝、空港に電話して「飛行機が飛ぶかどうか」の確認をしてから、「さて、今日1日、どうするか」を考えた。考えてみたところで、何も思い浮かばない。
そんなある日、ふと窓の外に目をやると、1台のタクシーが客待ちをしていた。何しろ、飛行機が飛んでいないのだから空港で客待ちをしていても商売にならない。そこで、ホテルの宿泊客を目当てに客待ちをしているようだった。行ってみるとまだ若い黒人の運転手で、「グレイスランド(Graceland)へ行きたいのだが、いくらかかるか」聞いてみた。すると「100ドル」だという。再度「片道か?」と問うと、「いや終日だ」との返事。何だか足下につけ込むようで悪い気がしたが、相手はむしろ喜んでいる様子なので交渉成立。
「グレイスランド」はエルヴィス・プレスリーの邸宅のことで、お隣のテネシー州メンフィスにある。リトルロックから車で片道2時間近くかかるので、決して近くはない。ドライバーは、こちらがグレイスランドを見学している間「近くのパン工場で働く兄のところへ行ってもいいか、もう2年も会っていない」と言う。「もちろん」と答えて2時間後に迎えにきてもらう約束をした。さすがに、終日付き合わせた上に安いタクシー代では気の毒に思い、ホテルに着いてから50ドルのチップを渡した。
翌日から毎朝、ドライバーがこちらのホテルの窓を見上げながら、タクシーのドアを開けて待っているのには参った。
文章:飯田徹 イラスト:石川理沙(500ml)